JP−@−A0021/2 基礎の学び 2020年版(ver.7) Aグループ 神との関係 02 十字架と救い
■・■ 2019/12/13


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神の子どもとしての身分: 人はもともと、神の子どもとして作られました。しかし、人は自分の意志で神様から離れてしまったのです。ですから救いとは「もともとの地位を回復すること」です。
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小さな子供はわがままで自己中心的です。誰も教えていないのに嘘をついたり、独り占めしたり、意地悪したりします。それを見るときに、人は生まれながらにして罪の性質を持っていることが分かります。
人は自分の罪により神と断絶させられ永遠の裁きを受けねばなりません。(イザヤ59:1-2)(ヘブル9:27)
神が人を地獄に送るわけではありません。人の罪が人を神から引き離し、人を滅ぼすのです。
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(ローマ6:23罪から来る報酬は死です。
アルバイトをするとき働いた時間に応じて報酬が与えられます。つまり報酬とは行いに対する報いです。行いが無ければ報酬もありません。死という報いもまた「罪という行い」の結果なのです。
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全ての人が死にます。それは全ての人が罪を犯したからです。

(ローマ3:10-12「義人はいない。ひとりもいない。悟りのある人はいない。神を求める人はいない。3:12 すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行なう人はいない。ひとりもいない。」
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罪の結果の死とは借金のかたに牢屋に入れられるようなもの(マタイ18:23―34)です。ですから、罪の代価を全部支払うまでは救われることはないのです。しかし、その支払いは高価で誰も払うことができません。
人が死ぬことは「自分の死をもってしても自分の代価を支払うことができないこと」の表れです。
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■神の解決・十字架
しかし、神様は救いの道を作ってくださいました。それは「罪のない人間が自分の命を身代わりとしてささげることによって、全ての人を救うことができる」ということです。
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しかし、罪のない人間はどこにもいません。
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ですから、人にはできないことを神がしてくださいました。すなわち、神の子イエスが人となってこの地上に来てくださり、私たちの身代わりに十字架の上で死んでくださることです。
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キリストが流された血の代価は「彼を信じる全ての人」を救うために十分なほどの値打ちがありました。
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■救いを受け取るために必要なこと

  1. 信じる :

100%信じねばならないわけではありません。人はだれでも信仰と不信仰2つの面を持っていて、その中間のどの位置かにいます。でも大切なことは、良いほうを(信じる方を)選び取ることです。
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  1. 告白する :

どこまで信じればよいのかについて、神様はひとつの救いの基準をもうけました。それは自分の口で告白することです。私たちの舌には力があるからです。(ヤコブ3章1節―13節参照)
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(ローマ10:9-10もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。
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3)知識ではない : 
救われるために、聖書を全部読んだり、神様のことを完全に知る必要はありません。大切なのは「心で」信じる事で「頭で信じること」ではありません。ですから、全てを理解する必要はありません。
信じるとは、大いなる神の懐に飛び込むことだからです。
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■救いとは何か

  1. 神の恵みであり無償のプレゼント

「恵み」それは行いとは関係なくただで与えられるプレゼントを意味します。
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(エペソ2:8-9あなたがたは恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。
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多くの宗教では、救いを達成する為に、努力や犠牲が必要です。けれどもキリストの犠牲による私たちの救いは完全なので、救われるために、それに何も付け足す必要はありません。
キリストは私たちの為に「信仰」を作ってくださいました。私たちはそれを受け取りに行くだけなのです。
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  1. 神の憐れみによって罪の報いから免れることができる

罪を犯す人は誰でも裁きを受け地獄に行くことが決まっていました。しかし、キリストを信じる信仰によって、「当然受けねばならなかった刑罰から免れる」ことができます。それは神の憐れみによるものです。
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3)霊の救い :
人は霊、魂(心)、肉体でできています。「霊」は人間の最も中心的な部分です。そこが生かされる時にその人の根本が新しくされます。霊は神とコミュニケーションのツールなので、神の声を聞くことができます。
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4)聖霊が私たちのうちに住む : 
神の霊は聖い場所にしか住むことができません。私たちの罪が赦されて神との和解がなされると聖霊が私たちの内に住みます。これによって今まで変えたくてもできなかったことを変えることができるのです。
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  1. 魂の救い  : 

(マタイ11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。(中略)11:29・・あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
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信じたときに神により自動的に平安が与えられることが多いですが、この言葉のように、キリストから生き方を学び生き方、価値観が変えられることによって得られる種類の平安があります。たとえば「他人との競争意識によって心に平安が無かった人が、生き方が変えられることによって平安をえるのです。
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6)心の癒し: 
霊の救いは瞬間的なものですが、魂の救いを実感するにはしばしば時間がかかります。また、多くの場合、具体的に、一つ一つの束縛をといていく必要があります。その方法はさまざまですが教会というコミュニティー(共同体)の存在はそのための大きなツールです。 (これについては次回以降の学びをご覧ください。)
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7) 肉体の救い:
御心に応じて、多くの場合、この地上で肉体の癒しが起こります。それはまた来るべき世界の予兆です。
肉体の究極的な救いは後の世界で与えられる不死身の体です。
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8) 永遠の救い
究極的に言うなら、私たちの命の本質はこの地上にある状態ではありません。私たちはほんのわずかな時間、この地上ですごして、永遠の時間を別の場所で過ごすことになります。その別の場所とはいわゆる天国と地獄です。そのどちらで過ごすかは現在生きている間の決断にかかっています。
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イエスを信じる人は、死んで肉体を離れた後も、まっすぐに天にいる神の元に行きます私たちは天国で神と永遠に生きることになります。 
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9) 救いとは神の子供とされること。
全ての人がこの地上で良い父親に恵まれるわけではありません。しかし神こそが本当の父であることを知るなら人生に大逆転を与えるほど失ったものを取り戻せます。これについては次回に学びます。