JP−@−A0061/2 基礎の学び 2020年版(ver.7) Aグループ 神との関係 (第6) 祈り
■・■ -20/03/24


「祈り」とは神様との交わりであり、関係を築くときです。
私達が信じている神様は「父」なのですから、祈りとは自分の父親と会話するようなものであると言えます。
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こういう話をすると、ある人は、意味が理解できないかもしれません。というのも、多くの人、特に日本人は父親との関係で傷ついているからです。父が支配的であったり、忙しすぎたり、子どもに無関心であるときに、本当の正しい父親像を持つことが出来ないのです。
この傷の問題については、後のBグループで詳しく見ていきますが、神様がデザインした本来の親子関係を知ることが出来るなら、祈りについて理解するのはたやすいと思います。
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日本人であれば、祈りというものは真っ先に思い浮かぶのは、一般の人が神社で願をかけることに見られるような「お願いの祈り」であるかもしれません。日本人的な願かけの感心の中心は、当たり前のことですが、「願い事がかなえられるかどうか」です。
もちろん、クリスチャンも「願い事をする」という種類の祈りをします、しかし、そのあり方には根本的な違いがあります。一概には言えませんが、平均的な概念でいう違いを見てみましょう。
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日本人的な祈りは、
@「叶えられたらうれしいが、外れてもそんなものさとあきらめるギャンブル的なもの」
A「お賽銭を捧げ、その代償に叶えていただく投機的なもの」
B「叶えてくださる方のことを良く知らず、関係を築くことも無い」
C 結局、祈りが聞かれるかどうかはわからないし、たとえ試験に合格しても「自分も頑張ったし」的なもの
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クリスチャンお祈りは
@ 子が親に求めることに見られるように、神様との関係のコミュニケーションのひとつとしてなされるもの
A 願いがかなうこと以上に心に平安が与えられる。
B そして、もちろん、具体的な祈りの答えを見ることも多くある。
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赤ちゃんが親に対してする最初のコミュニケーションは、「ミルクがほしい」「抱っこして」などといった自分の必要を訴えることですが、それを通じて親が必要を満たしてくれる方だと知り、親への信頼を学びます。
同様に、私たちも、神への祈りと訴えを通じて関係を深めていくのです。
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A) 良い習慣としての祈り
祈りが神とのコミュニケーションであるなら、よい習慣として日々それを行うべきです。
クリスチャンは伝統的に食前に食事を感謝して祈る習慣があります。大切なのは神への感謝の心なので食前に絶対に祈らねばならないわけではありませんが、そういった一つ一つの小さな祈りを重ねて良い習慣を継続することは良いことです。また、日々、神への感謝を思い起こすことができるのです。
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また、就寝前に家族で祈ったり、家を出る前にする祈りは、主に感謝を表し、周りの人や子供達に良い習慣をつけるために有効です。また、実際的に、神はその祈りを通じて守りと祝福を与えます。
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主の祈り  (マタイの福音書6章9節〜)イエスは弟子たちに「祈る方法」を教えられました。これは「主の祈り」と呼ばれていますが、そこでは、主により頼む姿勢が現れています。
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6:11 私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。
ただ、単に祝福を求めているだけではなく、毎日主の助けが必要であることを確認しています。
また、この言葉は霊的食物である「みことば」が与えられることにも通じます。
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6:12 私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
このことは、祈りが聞かれるためには、自分が解放されている必要があることを意味しています。
(マタイ18章23節)のたとえ話のように私たちが赦されるのは、他の人を赦すことにあります。
そのような実際的な行動が「聞かれる祈り」の鍵です。
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6:13 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』        生活の守りを願います。
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神への賛美と感謝
マタイ6:9 だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。
「あがめる」とは「礼拝、賛美、感謝」することです。そのような心があるなら、私たちは守られます。
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B) グループの祈り
神の計画を地上にもたらすためのもの
(マタイ6:10)で「みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。」と祈っています。
つまり、「天に満ちている神の力と栄光、祝福を地上にもたらすこと」なのです。
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祈りとは神の力をこの地上に解き放つためのものです。
聖書には「病人に手を置くと癒されます。」と書いていますが、逆に言うなら、神が病気の人を癒したくても(時には)私たちが手を置くまでは癒されないこともありえるということです。
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神の力を地上に解き放つ祈りをする為には、一人より複数、あるいはグループで祈るほうが効果的です。
なぜなら主がこう約束されているからです。
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(マタイ18:19-20まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。・・
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C) 個人的に神と交わる祈り
(マタイ6:6 )に書かれた「奥まった部屋」での祈りは「個人的に神と交わる祈り」について語っていますが、このような祈りは、信仰生活において大切です。
「私の目にあなたは高価で尊い」(イザヤ43:4)という有名な言葉がありますが、それをただ、聖書にそう書いているという知識としてではなく、神から直接受け取れるならどんなにすばらしいでしょう。
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また、積極的に神との間の妨げになりがちな「赦さない心、処理していない悪霊との契約、癒されていない心」などを取り去ることも、神様から受け取るのに有効です。
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祈りの言葉が必要なわけではない
個人的な交わりの祈りにおいて、多くの祈りの言葉を並べる必要はありません。それは神ご自身を求めるときであり、神の語る言葉に耳を傾けるときなのです。
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異言の祈り
個人的な関係を建て上げるために、「異言の祈り」は非常に重要なツールです。この祈りは、決心によって継続できるものなので、多くの人に神との関係を築き上げさせる扉を開くことになるでしょう。
これについては別の機会に詳しく見ていきます。
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神と交わる祈りは私達に励ましとエネルギーを与えます。ちょうどガソリンスタンドで満タンにするように霊的エネルギーを受け取ります。これをしていないと霊的に干からびてしまいます。
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どのように神に祈りが届くのか
神は父、子(キリスト)、聖霊の三つでひとつであるが、神に祈るときに、どのように機能するかは次の言葉に要約されます。 「私たちはイエス・キリストの名によって、聖霊によって父なる神に祈る」
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(ヨハネ14:6 )イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。
祈りの最後に習慣的に「イエスキリストの名によって祈ります。」という言葉を付け加えるのはそのためです。