JP−@−C002 基礎の学び 2020年版(ver.7) C クリスチャン生活の基礎(2 信仰
■・■1/2 20/02/21()


信仰とは何でしょうか。宗教を持つ事と同じ意味でしょうか?統計上はクリスチャン人口が多い地域はアメリカとヨーロッパですが、それは信仰(内面)を調べたのではなく宗教(外面・文化・習慣)を調べただけです。
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実際には日本、北朝鮮、西アジア、中央アジア、北アフリカ地域を除いて、世界でもっともクリスチャンが少ない地域はヨーロッパなのです。イギリスでも現在クリスチャンは5%程度に過ぎないと言われています。もちろんヨーロッパ人のほとんどは教会で結婚式をして、葬式をします。けれども、それはほとんどの日本人が仏教式で葬式をするからといって仏教を信仰しているとはいえないのと同じです。
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信仰とは何か(1)信仰とは心の内側が本質です。
外側を繕う事ではなく(@-B-6)で紹介した「山上の垂訓」と呼ばれるイエスの教えの中心は内側が変えられることの大切さでした。ですから立派なクリスチャンに見せようと何かをすることではありません。
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信仰とは何か(2)何を信じるか
信仰で「何を信じるか」は大切です。あなたは何を信じてますか?「神」ですか。どの神ですか?「もちろん唯一の創造主なる神です。」でもイスラム教徒も唯一の神を信じていますよ。「キリスト教ですか?」でもエホバの証人のようにキリストの神性を認めない宗教もありますよ。
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また、たとえ、正しい教理を持つキリスト教会のメンバーであっても、「良い行いをしなければ神は愛さない」と間違った信念を持つなら、霊的な成長に妨げが生じてしまいます。
そのような間違った考え方は誰も教えていないのに自然に信者の間にはびこってしまいます。
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親から「お前はだめなやつだ」と聞かされて育った人は、神は全能だと信じており、さらに「イエスを信じる者は、イエスの行なうわざを行ない、またそれよりもさらに大きなわざを行ないます。」(ヨハネ14:12と聖書に書いているにも関わらず、自分がキリストよりも大きな奇跡を行うなどと想像できません。私達は自分の経験に基づいた信仰ではなく、神の言葉が語っている事に基づいた信仰が必要なのです。
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信仰とは何か(3)神が与えるもの。
第1コリント12章に聖霊の賜物のひとつとして、神が与える超自然的な信仰について書いています。これは賜物としての特別な信仰についで、一般的な意味で言っているわけではありませんが、それでも、信仰は神が与えてくださるものであることがわかります。ですから、「自分には信仰が無い」と感じても心配要りません。信仰の源なる神につながることが大切なのです。
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信仰とは何か(4)求めるべきもの。
神が信仰を与えてくださるのであるなら、神様を求めるべきです。現実を目の前にして、ただ立ちすくんでいてはいけません。
(マタイ7:7求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。
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信仰とは何か(5)自己実現ではない。
ダニエル書3章の3人の若者は自分の命は助け出されると信じていましたが、実際に願い通りになるかどうかは知りませんでした。
(ダニエル3:17もし、そうなれば、私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。(中略)3:18 しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません。」 、
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彼らは、自分の命を気にかけず、ただ、神にゆだね、信じる事を貫き通しました。たとえ彼らはそこで焼け死んでも、彼らに対する天国での報いは変わりません。
私達も、地上において祈りが聞かれないからといって落胆してはいけません。私達は信じるように作られました。信じ続ける決断に失敗はありません。あるのは大きな報いだけです。
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信仰とは何か(6)奇跡をもたらす。
当たり障りの無い生活では大きな奇跡をもたらしません。異教徒のバビロンの王自身がイスラエルの神の偉大さを国中に伝えた奇跡は、上の3人の信仰によってもたらされました。
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信仰とは何か(7)実体である。
信仰が神からのプレゼントであり、具体的な結果をもたらすものですから、信仰は思い込みや信念というものではありません。信仰は実体であると聖書は語っています。
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(ヘブル11:1) 信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
(ギリシャ語の直訳) 信仰とは、望んでいることの実体(確信)であり、今見ていない事柄の証明です。」
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信仰とは「実体」です。私達は具体的に(手で触れるように)信仰を持つことが出来ます。ですから、祈りが答えられる手ごたえ(確信)を得るまで祈り続けるべきです。「〜になりますように」という願望ではなく「〜はすでに与えられた」という手ごたえを受け取るまで求め続けてください。
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信仰とは何か(8)疑いが無くなることではない。
私達は現実世界で生きており、疑いがなくなるわけではありません。大切なのは疑いがあったとそても信仰に基づいた行動をする事です。言い換えるなら、多くの選択肢の中で正しいと思う方を選んで進んでいくことです。
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アブラハムの妻サラは子供が与えられると主に語られたときに、不信仰のゆえに思わず笑ってしまいました。しかし彼女はヘブル人への手紙11章には信仰の勇者として紹介されています。彼女は頭では疑っても、信仰に基づいて行動したからです。
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ですから、100%信じきれないからといて落ち込まないでください。
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信仰とは何か(9)行動によって表されるべきもの。
(ヤコブ2:14-17私の兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行ないがないなら、、それだけでは、(信仰は)死んだものです。
信仰とはただ、心で信じることではなく、信じていることを行動に移すことです。この御言葉の文脈にあるように、周りにいる人の必要に敏感になり、人を助ける事は大切です。
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雇われの仕事をやめて自分でビジネスを始める願いがあり、「神が全ての必要を満たして下さる」という信仰を持っても、安定した今の仕事をやめて踏み出す事ができないなら、それは信じている事にはなりません。
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またマラキ書に「収入の十分の一を主に捧げるなら、神が生活を守り、ビジネスを繁栄させて下さる」と書いているにも関わらず、献金を惜しむ人は「自分は信じていない」という言葉を行動で告白しています。
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信仰を強めるには(1)聞くことによる。
(ローマ10:17)信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。
信仰は聴くことから始まるのですから、信仰を受け取るためにも、聖書を読み、教会に出席しメッセージを聞くこと、メンバー同士の交流は大切です。互いに励ましの言葉を語り合うべきです。
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信仰を強めるには(2)告白する。
人は自分が語る言葉以上のものになる事はできません。否定的な言葉を口にする人はその言葉の束縛を受けます。信仰の言葉、神の御言葉を告白するなら、その言葉はあなたの人生で成就するでしょう。
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信仰を強めるには(3)仕える。
ルカ17章5節で 使徒達がイエスに「私たちの信仰を増してください。」と願った時にイエスは「からし種」の例えと共に他の人に仕えることについて語られました。生きた信仰は、へりくだった人に与えられるのです。