JP−@−C003 基礎の学び 2020年版(ver.6) C クリスチャン生活の基礎(3)キリストのくびきを負う  
■・■1/2  2020/03/14


(マタイ11:28〜30)(改4) 11:28 すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。11:29 わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
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くびきとは、牛を使って畑を耕すときに牛の首につける木で出来た枠のことです。くびきはM字形をしていて2つのくぼみがあり、そこに2頭の牛を並べてそれぞれの首をはめ込むようにして用います。通常ベテランの牛と若い牛を並べて用います。若い牛が従順を学ぶことが出来るようにするためです。キリストのくびきを負うとは、キリストの規範を見習い彼と共に歩むことを意味しています。
<03>
キリストのくびきは心地よい
30節のくびきは負いやすくと書いている「負いやすく」の部分は原語では「5543.フリストス」で、その意味は「良い、心地よい、親切な、憐み深い」です。ですから、もし、負担に感じるとしたら、どこかが間違っていたり、勘違いしているのです。ではどのような理由によって、負担になってしまうのでしょうか?
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              例1)神にゆだねることが出来ず、気遣いばかりして疲れてしまう。
聖書は「明日の事を心配しないで」(マタイ6:34)と言っています。これが人間の言葉であれば、単なる気休めですが、全能の神がそういわれているのですから、私達は安らぐことができます。
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(ピリピ4:6-7) 何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。4:7 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。
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例2)神が求めていること以上の事を達成しようとして余計なエネルギーを使ってしまう。
ある人は自己実現の為に多大な努力を払っています。また、たとえ人を助けることでも、完璧にしなければできない性分の為に、疲れてしまう人がいます。キリストのくびきを負うときに、「何を」「どれくらいする」という、ちょうどいい限度を持つことが出来るのです。
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例3)ありのままの自分を受け入れることが出来ず、他の人と競争してしまう。あるいは自分の子供に期待をかけすぎて、周りの人と競争してしまう。
ある人は、自分を立派に見せようとして、毎月ファッションにたくさんお金を使っていました。でもそれは、その人にコンプレックスがあったためであり、キリストにある人生の価値観を見出したときに、すなわち、自分が愛されている存在だと気がついたときに、もう大金を費やさなくなったのです。
彼は自分の人生を振り返ってこう言いました「キリストのくびきって軽いですね。」
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例4)人の期待にこたえようとして、がんばって疲れてしまう。
私達は人を喜ばせようとするのではなく、神を喜ばせるべきです。人からの賞賛を期待するなら、過重な努力を払ってしまいますし、賞賛を受けれないときに落ち込んでしまいます。また助けた人に裏切られたときには「あんなに助けてやったのに」という思いがやってきてストレスになるでしょう。
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1テサロニケ2:4) 私たちは神に認められて福音をゆだねられた者ですから、それにふさわしく、人を喜ばせようとしてではなく、私たちの心をお調べになる神を喜ばせようとして語るのです。
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■全ての人はどこかの国籍を持っています、それは言い換えれば、どこかの国の支配下にあるという事です。どこの国に生まれたかで生活はまったく変わってしまいます。霊的な意味においても同様です。あなたはどの国の支配下に住むことを望みますか?サタンの王国?それとも神の王国? 神の王国を選んでください。
「どちらでもない自分の王国」はないのです。
神の王国以外の全ては直接的であれ間接的であれサタンの支配の王国であると聖書は語っています。
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(1ヨハネの手紙5:19私たちは神からの者であり、全世界は悪い者の支配下にあることを知っています。
全世界が悪いものの支配下にあるのであるなら、私たちがもし、キリストのくびきを負っていないなら、私たちは、本当の幸せを得ることも栄えることもできなくなってしまことを意味します。
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くびきを負うとは?(1)=その教えに従うこと。

  1. 命じることを行い、禁じていることを行わない。

聖書の中にある禁じられた事柄は、私達が束縛を受けないようにするためです。イエスは「お金を愛してはいけない」と言ったのは私達から楽しみを取り上げる為ではなく、お金に束縛されない為なのです。
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  1. 生活の優先順位を守る=聖書には私達が優先すべき順位について教えています。

私達が持つべき優先順位は@神 A家族 B仕事や教会およびミニストリーなどです。
※優先順位が崩れるときに、私達の生活に問題が生じます。
こう話すと「自分」は優先順位のどこか?という質問をよく受けます。それに順位はありません。神と共にあり、家族と共にあり、働きと共にあるからです。それについてディスカッションされるとよいでしょう。
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  1. 境界線を持つ

人間関係の問題を複雑にしてしまうひとつの理由は、人との間に境界線が無いことです。誰かから言われたことを、無造作に他の人にしゃべったり(つまり噂話をする)ことによって人間関係が複雑になってしまいます。
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また、たとえば、お金を浪費しつづけている息子を持つ親が、息子の生活を正すことなく借金の尻拭いをしているなら、気苦労が絶えないばかりか、息子がまともな社会人になるのを妨げています。
聖書は人を助ける事の大切さを教えていますが、それは境界線を持つという前提の上に成り立っています。
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人が踏み込むべきではない境界線を越えて自分の領域に進入してきた(噂話を聞かされる・お願い事をされる)ときに、「ノー」というべきです。それは近所の騒音というような小さなことにおいてそうですし、心の責めや負い目によって相手の言う事を聞かざるおえない状況などもそうなのです。
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■ キリストのくびきを負うとはどういうことか
(Q)くびきを負うにはどうすればいいか?(A)キリストの思いを持つこと。
(1コリント2:16 「いったい、だれが主のみこころを知り、主を導くことができたか。」ところが、私たちには、キリストの心があるのです。」キリストと心がひとつになることによって、それが可能なのです。
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キリストの思いを持つ方法(1)聖霊に満たされる
              聖霊は、キリストの御霊です。賛美や祈りによって聖霊に満たされましょう。
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キリストの思いを持つ方法(2)聖書の言葉
ヨハネの福音書1章には「言葉はキリストになった」と書いています。聖書の言葉を読み、思い巡らす(瞑想する)時に、キリストの思いが自分のものとなるのです。
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キリストの思いを持つ方法(3)妨げを取り除く
私達はもともとキリストと同じ思いを持つことが出来るように作られています。ただ、心の傷や、さまざまな妨げがそれを妨害しています。癒しや解放の過程を通ることによってキリストと心をひとつにすることができます。
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キリストは人として私達が体験するあらゆる苦しみを通られました。人間の弱さを知っています。彼と共にくびきを負うというのは、私達が弱いときに、彼がすべて引き受けて下さるということです。
疲れない生活とはそんな彼を信頼することから始まります。それは自分のクリスチャンとしての歩みの経験を通じて与えられるだけではなく、時には御言葉の啓示により、また、他の人の証を見たり聞いたりすることによって与えられます。ですからクリスチャン同士の交わり、教会に集う事は重要なのです。