@−F−1基礎の学び 2025年(Ver.8) Fグループ 整えられる為に (第1) 奉仕
■・■−1/2 25/02/15
■奉仕とは何か
(1)愛を動機とした行動
人が誰かの為に何かをするという行為は人に備わった性質であり、人の存在意義でもあります。
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(2)礼拝行為
(ローマ人への手紙12:1)、、、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。(中略)12:5 大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。
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「体を生きた供え物としてささげる」という言葉の中には、ささげ物として「体を動かす」というものも含まれます。ですから、広い意味において、互いに仕えあう事は礼拝の一部なのです。
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(3)コミュニティーへの参加行為
代価を求めるのでなく無償で互いに支えあうことによって人間社会が機能するように神は作られました。
健全な家庭においては、それぞれの働きが分配されていることが良く見られます。同様に神の家族である教会においても、一人一人の奉仕によって成り立っているのです。
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(4)奉仕は恵みに対する応答
奉仕をする動機の一つは喜びや主への感謝です。マタイ8章14-15節で熱病で伏していたペテロのしゅうとめはイエスによって癒された後、すぐに仕えました。
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(5)それによって益を受ける人がいる
教会の奉仕では、とにかくこなす事が目的になったり、それが恵みの表れや霊的なものであると考えすぎたりして、それによって便宜を受ける人がいる事を忘れてしまいがちです。
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(6)自由意思に基づいたもの
奉仕が礼拝であるなら、それは自由意思に基づいてなされるべきです。
また、同じ意味で、失敗やうっかりも許容されるべきだと思います。
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(7)必ずしもしなくてもよい。
日曜日の集いが実家に帰省するようなものであるなら、そこで何もせずリラックスして、ただ受け取るだけというのも良いものです。ですから、奉仕に携わっていなくても責めを受けることはありません。
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(8)聖徒が整えられるためにA(心の状態をあぶりだして癒しの機会を与える)
(エペソ4:12) それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるため・・・
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ここに「聖徒を整えて奉仕の働きをさせ」と書いていますが、その逆もしかりで、奉仕を通じて人は整えられていく側面があります。
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心のバロメーター:「無償の奉仕」はその人が持つ健全な心のバロメーターにもなります。
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@罪や心の葛藤
(詩篇51:12) あなたの救いの喜びを、私に返し、喜んで仕える霊が、私をささえますように。
この詩はダビデが罪を犯し悔い改めた後に作った詩です。罪は喜んで仕えることを妨げます。
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A低い自己像:
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Bパフォーマンス思考など心の動機が図られる:
「人に認められたい」「頼られる事に自分の存在価値を見出す」のであるならそれは不健全です。
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上記のような心のバロメータとして奉仕が機能する時に、その人の内面を取り扱い、心に癒しをもたらすきっかけとなります。奉仕はいやしの為のセンサーでもあるのです。
こういったものは、親との関係などといった過去の傷からやってくることが多いです。基礎の学び初級編Bを見直して自分を吟味していきましょう。
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(9)聖徒が整えられるためにB(ステップアップ)
(第1テモテ3:13) 執事として立派に仕えた人は、良い地歩を占め、また、キリスト・イエスを信じる信仰について、強い確信を持つことができるのです。
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これは執事についての御言葉ですが、基本的な考えとしては同様です。
地道であっても忠実な奉仕によって神に認められた者には特別な力油注ぎや権威、祈りが聞かれること、より深い神との交わり、特別に霊的に開かれた目。特別な神からの好意というものが与えられることでしょう。
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また、そのような霊的なものだけでなく、奉仕を通じて、通訳能力、語学や演奏の能力、セットアップの知識や技術が身につくのは当然のことです。
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■奉仕を妨げるいくつかの勘違い
(1)自分がするものだと知らない。(エペソ4:11-13)リーダーの役割はメンバーに奉仕をさせる事です。
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(2)もうすでにやっている人がいるので必要は満たされている。
奉仕が特定の人に集中するのは不健全です。疲れてしまいます。礼拝行為であるなら、自分の意思で喜んでできる量が適量です。その為には、より多くの人に分散される必要があります。
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SCGが目指している量は、すべての奉仕者が一日に付き1つの奉仕、そして、毎月、何も奉仕のシフトが入らない日曜日が2回以上あることです。それを実現させるには、さらにより幅広く分散させる必要があります。
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さらに、実は将来的に、今の2倍以上の奉仕をする人が必要です。というのも「いこい」が人で溢れたら、午前と午後に分けて礼拝をする予定です。そして各奉仕は、午前と午後で別の人が担当するのです。
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(5)技術がない、自分が役に立たないと思っている。
今でこそ私は教会で扱う音響機器に対する知識がありますが、札幌に来たときはビデオ再生機とテレビを接続する方法すら知りませんでした。ただ、必要を満たそうとうとして30年の間、ひとつづつ覚えただけです。
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■SCGの特徴的な奉仕に対する考え方
(1)休みたい時に休み、やめたい時にやめることができる。
奉仕者たちに対して教会は感謝の気持ちでいっぱいです。ですから、家族を優先する為、自分自身のレジャーの為、その他のどんな理由でも奉仕を自由に休むことができます。それは、ある意味、奉仕に対する報酬です。
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(2)教会は必要によってではなくビジョンによって動いている。
英語への通訳がある理由は、外国人の為だけではありません。会衆が英語を学べるようにするためです。
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(3)必要を満たすためにしているとは限らない
そのようにビジョンで動いているので、たとえ必要があっても必ずしもそれを満たせるとは限りません。「自由意思によるもの、礼拝行為」であるなら、それが担保される必要があるからです。
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■自発的で創造的な奉仕は最も有効で有益である。
多くの他の教会では、奉仕を半ば義務化していることが多い中、SCGは後ろ向きに見えるかもしれません。
そのようにしているのは、言われたことをするだけでなく、自分の意思と創造力を発揮してメンバーが奉仕につくことを願っているからです。ですから、自発的に立ち上がる人がいるならそれは大歓迎です。