@−F−2 基礎の学び 2025年(Ver.8) Fグループ 整えられる為に (第2) 献金
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(マタイ6:19-21) 自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。(中略) 自分の宝は、天にたくわえなさい。(中略) あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。
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この御言葉からわかることは、お金とは、ある意味、私達の心がどこにあるかを見分ける為のセンサーです。神が求めているのは私達の心ですが、献金はその心の所在を知るのに役立ちます。
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■前置き■ 旧約聖書から学ぶことについて。
私達はただ律法主義的に旧約の言葉を行うわけではありませんが、旧約の言葉は私たちの行動の一つの目安となります。これは献金の教えに限りませんが、大切なことはその原則を知り、御言葉の本質を行うことです。
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(ローマ2:15)には「律法を持たなくても、その本質が私たちの心に記されており、私たちの良心も証している」と書いてあります。ですから、「こうするべきである」というものはありません。
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献金とは@)心からの願いによる自主的なものである:
(2コリント9:5―8)この献金を、惜しみながらするのではなく、好意に満ちた贈り物として用意しておいてください。9:6 私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。9:7 ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。
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当教会の集会中の献金は無記名で全て同じ献金箱に入れられます。
誰から強いられてでもなく心の願いにしたがって行われためにです。
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献金とはA)献金は感謝の表れであり喜び:
神の願いは、一人一人の人生が変革されて、解放と喜びにあふれることです。
捧げることはその結果に過ぎないのです。
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献金とはB)献金は礼拝行為。:
礼拝とは捧げる事。それは愛する一人子イエスさえも(すなわち全てを)与えてくださった父なる神に対する感謝の心です。それゆえ私たちは人生のあらゆる領域を主に捧げ、あらゆるものの中に献金も含まれるのです。
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献金とはC)天国に宝を積む: 地上のお金を天国に持って行くことはできません。両替が必要です。
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献金とはD)私たちが豊かになるためです。
(第2コリント9:8) 神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ちたりて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。
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豊かにさせる(1)
種をまけば収穫は数十倍です。種まきと刈り取りの法則は霊的原則も同様です。
りんごを収穫するにはりんごの苗を植えます。経済的な種をまけば、経済的な祝福を受けます。
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豊かにさせる(2)
人生が変えられることによって豊かにされます:
価値観が変えられると、見栄による出費や、心の傷の衝動で無駄遣いをすることが無くなります。
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献金とはE)守りを与える
(マラキ3:11)わたしはあなたがたのために、いなごをしかって、あなたがたの土地の産物を滅ぼさないようにし、畑のぶどうの木が不作とならないようにする。・・万軍の主は仰せられる。・・
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もちろん、捧げない人は守られないという意味ではありません。それでも、神様がどんなときにも守ってくださるという安心感は、私たちの人生を豊かにいたします。
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献金とはF)律法ではなく、信仰による:
献金は規則や律法ではありません。モーセに律法が与えられる遥か以前にアブラハムは主を喜ぶあまり、自分の意思で財産の十分の一を捧げました。神は彼の心と信仰を喜ばれアブラハムを大いに祝福されました。
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献金とはG)種類がある:
当教会は全ての種類の献金を同じ献金箱に入れていますし、厳密に考える必要はありませんが、幾つかの種類に分けて考えることによって、その理解は深まります。実際マラキ書に「十分の一」と「奉納物」と分けており、また「初物」、「進んでささげる」があります。
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◆献金の種類(A) 十分の一献金
(マラキ3章7節―9節の記述には、収入の十分の一を捧げることについて書いてあります。
私にとってこの目安は、ある意味守りとなりました。と言いますのも、私が救われたばかりの時、救われた喜びで、収入のすべてをささげたくなりました。しかし、それでは生活が成り立たないでしょう。
ですから、十一献金に対する私の第一印象は、「たったそれだけで良いのか」というものでした。
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収入の十分の一というと「税金や社会保険を引く前なのか後(手取り)なのか」という質問を受けることがあります。また、宝くじや遺産を相続するような場合はどうしたら良いのでしょうか。
それは各自が決めればよいことです。自分が最も良いと思われることをするとよいでしょう。
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参考までに言いますと、ユダの手紙1章20節に「自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げなさい・・」と書いてあります。
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そして全ての事は(2コリント9:7)いやいやながらでなく強いられてでもなく心で決めた通りにしなさい。という原則の中でなされるべきです。捧げるという良い行動に対してプレッシャーを感じて欲しくありません。
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献金の種類(B) 礼拝献金&その他の献金:
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献金の種類(C) 収入の初物をささげる(レビ記 2: 12):
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献金とはH)財産はそれはもともと自分のものではない
ダビデ王は第1歴代誌29章14節で「このようにみずから進んでささげる力を保っていたとしても。すべてはあなたから出たので、私たちは、御手から出たものをあなたにささげたにすぎません。」と語っています。
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献金とはI)どこに献金するべきか:
(マラキ3:10)宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。・・・「わたしの家の食物」=「自分が霊的食物を受け取っているところ」、つまり自分が所属する教会を第一にすると解釈できるでしょう。
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献金とはJ)貧しい人はどうするか:
献金の原則はすべての人に対して平等です。喜んでささげられる分を捧げたらそれでよいのです。
責めを受ける必要はありません。
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また、それと同時に本当の意味で、周りの人たちが聖書の教えを実践するなら、困窮者はいないはずです。聖書は「周りにいる豊かな人達が貧しい人を助けるように。」と語っているからです。
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献金をしないと神様から盗んでいるという教えがありますが、それには同意しません。献金を「礼拝」という言葉に置き換えるとわかります。礼拝は自由な心の自発的なものであり、心から捧げるものだからです。
それでも、捧げることを妨げる原因の中には、神様との交わりを体験していない。解放されていない心や間違った価値観があるといったものもあるので、それについてぜひ癒されて解放されて欲しいと思います。