@−F−3 基礎の学び 2025年(Ver.8) Fグループ 整えられる為に (第3) とりなし
■・■−1/2 25/02/06
祈りの本質は神との交流(会話、関係を持つ事)であることをAグループの学びの中で見ました。
「祈り」には幅広い意味があります。今回は「とりなし」と呼ばれる祈りについて見ていきます。
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とりなしという言葉自体は普通の日本語です。その意味は「間に立つ」「弁護する」「仲介する」です。
ですからクリスチャンの「とりなし」は「神と祈りの対象との間に立つ」「神に弁護する」という意味です。
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簡単に言うと誰かの救い、病気の癒し、生活の問題の解決、家族の問題、社会的問題、地域の変革、その他さまざまな問題の解決のために神様に訴え祈ることです。
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「××さんが救われますように。」という祈りは神を知らず、直接神に訴えることができない××さんに代わり、あなたが××さんと神の間に立ち「彼女を滅ぼさないでください」と本人に代わって弁護することです。
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ところで、(マタイ6章8節)に「父なる神は・・お願いする先に、あなたがたに必要なものを知っている。」すなわち、神は既に私たちの必要や問題を知っているのにどうして祈らねばならないのでしょうか?
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それは、私達「人」に与えられた役割だからです。私達の意味は、まあ、もちろんクリスチャンの役割ですが、「霊的世界と地上をつなぐ」という意味として理解するなら、それは人類に与えられた普遍的な役割です。
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なぜなら、そもそも神がアダム(その意味は「人」)を造った理由は神と地上との「仲介者」として任命する為だからです。ですから祈りを含めて人の行動を通じて世界を動かす事が神の最初からの計画なのです。
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(創世記1:26) そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。
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仲介者ということば(1テモ2:5)はキリストを思い起こさせます。事実、キリストは最後のアダム (1コリ15:45)と記されています。これを読むときに、キリストはアダムができなかった「人本来の働き」を回復させるために来られたことが分かります。
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キリストがこの地に来られたのは、単に私達を救うためではなく、仲介者としての地位を回復させるためです。
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「人本来の地位の回復」ができるのは罪の呪いの下に無い人だけでしたが、そんな人は誰もいませんでした。
ですから神が人となって来る必要があったのです。それがイエスキリストです。人としてこの地上を歩まれたイエスキリストはその死と復活によりサタンの頭を踏み砕きました。そしてこう宣言されたのです。
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(マタイ28:18)・・・「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。28:19 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。・・・
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(ヨハネの福音書20:21) イエスはもう一度、彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」
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つまり、キリストがなされた御業によって、私たちの地位は回復され、霊的な面(祈り)において、また、実際的な行動(社会的な活動)において、神の御業をこの地でなす仲介者としてこの地に遣わされているのです。
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もちろん、現在の私たちはアダムとは異なります。アダムは神から直接支配権を譲渡されており、禁断の実を食べる以外は何をするのも自由でした。しかし、現在、私たちはイエスに遣わされたもの、すなわち「下請け」なのですから、その御心に沿って行動したり祈る必要があります。
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そしてそれこそ「イエスキリストの名によって祈る」という意味です。
私たちは何に対してでも祈り、行動する自由がありますが、すべてが御心ではありません。
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定められた範囲内の祈りしか効果的でないのなら、ある人は自分が持っている祈りや願いはイエスが定められた範囲内なのかどうか、すなわち御心かどうか気になるところでしょう。
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心配することはありません、私達が想像する以上に御心の範囲は広いです。病気が癒されること(マタイ8:3)、家族が救われるのは御心です。(使徒16:31)いや全人類が救われることが神の望みなのです。(1テモテ2:4)私達が豊かになり栄える事は神の御心です。(創世記13:2)ですから大胆に求めていきましょう。
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つまり、神の御心と計画を求めるのは良いことですが、これは求めすぎではないだろうかと考えすぎないことです。また「祈り」とまでいかなくとも願望(願い)(へブル5:7)を持つことも神は尊ばれます。
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あなたにとっては、個人的な希望や願望にすぎないと感じても、それを通じて神様は事を行われることがあるのです。つまり、自分は自分としてはやりたいことをしただけなのに、気が付いたら神様の計画のど真ん中にいることもありうるのです。
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(ピリピ2:13)神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。
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そういったことが実現される一つの要素は、その一つ前の節、すなわち(ピリピ2:12)にあるように「神への従順、そして恐れおののいて自分の救いを達成する心構え」があることです。
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■注意点
人が「霊的世界と地上との仲介者」であるという意味は、神の霊的な領域だけでなく「サタンの霊的な領域」との間の仲介者にもなりうるということです。
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クリスチャンであってもサタンに用いられるというのは恐ろしいことです。
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■未信者も用いられる
ただ、朗報なのは、これは人に与えられた普遍的な役割なのですから、神を知らない未信者であっても神様に用いられるということです。
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これはライフ・プレイス・ミニストリー(LPM)の重要な教えです。LPMの一つのいくつかある特徴の一つは、信者と未信者を隔てないことだからです。
それはまた、彼らの考える事やすることを尊重する事でもあります。クリスチャンが自分たちの常識を押し付けるのではなく、彼らもまた神に用いられる器であるとして尊敬して接するのです。
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■天の窓が開かれることの大切さ
とりなしの祈りが天と地をつなぐことであるなら、神との間に太いパイプがあるほうが有利です。
すなわち天が開かれ、天と地がつながっていることです。
そういう状態であるなら、祈りの課題を効果的に主の前に持っていくことができますし、祈りの答えがスムーズ地上にもたらされます。
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天を開く方法には様々なものがありますが、賛美をすることは有効な手段の一つです。
実際、水曜日の祈り会では、30分の賛美から始めます。
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この天とのパイプを妨げるものがあります。(ダニエル10:12〜13)を見ると、悪霊によって、「祈りの答えが遅れさせられた」様子が描かれております。
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そうであるなら、悪霊の働きを遠ざける行動を私たちがすることも重要です。
すなわち、私たちがきよさを保つこと、互いに愛し合うこと、赦しあうこと、重荷を負いあうことなどです。
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