@−F−4 2025(Ver.8) 25/02/13 基礎の学び Fグループ 整えられる為に (4) 導きを求める
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どのように神様の導きを求めるのかを知ることは重要です。なぜなら神様は私たちに最高の計画を持っているからです。それを求めて見出す事は人生のだいご味であり、私たちが造られた目的を達成することだからです。

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■(不正確な考え方)しかし、次のように単純化した勘違いをしてはいけません。

  1. 神が敷かれるレールに乗るのが最高の人生で、それを見出し、選ばなければ、値打ちの低い人生だ。
  2. その神の計画を知るために、がんばって見い出さねばならない。
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もちろん全くの勘違いではありません。むしろ良いとも言えます。しかし実際はそんなに単純ではありません。
といいますのも、神の計画を実現させる要素の中には、私達の自由意思も含まれているからです。
神は私たちに自由意思を与えました。そして、それを通じてその御計画を成し遂げようとされるのです。
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(関連する御言葉)(ピリピ2:13) 神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。
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■ポイント
(ポイント1)神は私達をロボットとして作ったのではなく、私達の人生もあらかじめ定められてはいません。
この言葉は不思議に聞こえることでしょう。しかし、知ってください。神が全能者であるゆえんは私たちが神の計画通りに動かなかったとしてもご自身の計画が成し遂げられることに神の完全さと全能さがあるのです。
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(ポイント2)神は私たちの間違った過去や決断も益と変えることができる。
自由意思に委ねられているということは、間違った選択による不成立、私たちの怠惰による遅延も含まれます。
ある人の人生は間違った選択の連続だったかもしれません。しかし、それさえも益と変えてくださるのです。
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ですから、元やくざの人が牧師になり、活躍していたとしても、やくざになることが神の御心だったわけではありません。ただ結果的に、神の恵みと哀れみの故に、そのように用いてくださっただけです。
その御業は、あたかも彼がやくざをすることが神の計画であったと勘違いするほど素晴らしいのです。
ですから、無茶をして、結果的にうまくいったとしても「それは御心であった」というわけではありません。
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むしろ謙虚に「神がすべてを益としてくださった。」というべきです。
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(ポイント3)本来の神が意図した人生を歩んでいるかどうかは外からは見えない。
ということは、恐ろしいことに、たとえ神の御心に逆らった人生を歩んだクリスチャンがいても、うまく言って見えることもありえるし、その人の問題について周りの人も本人も気が付かないことも起こりえるのです。
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(ポイント4)主を畏れて御心を求め、良いものを選び取る。
私たちが間違った人生を歩んでも、それを益にしてくださるのであるなら、ある人は好き勝手に生きてよいと思うかもしれません。しかし、(ピリピ2:13)の一つ前の節には「恐れおののいて」という言葉があります。
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ですから、本当の意味で神の御手と恵みと哀れみを知るなら、私達は主を畏れて、御心を求めて、より良いもの、神の最高の計画の中を生きたいと願うようになるものです。
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■決断の判断基準
1)常識(現在の立場における常識)、統計学的見地
大学生が退学をして何か別の事を始めるとか夫婦が別居して何かをするというような導きは通常ありません。
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2)自分の願い: 上記、の(ピリピ2:13)の言葉「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて」
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神が私たちを導く主要な手段の一つはその人の心にそれをしたいという願いを与えることにあります。けれども(当たり前の話ですが)すべての願いは神が導いているとは限りませんし、自分がいやなことを神が導くこともあります。とはいえ神は私たちに感情を与えたのですから、その気持ちを尊重されます。
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3)心の妨げを知る
人の決断を左右する好みや苦手意識というものは多くの場合過去の経験によって形作られます。ということは過去のトラウマや植え付けられた苦手意識によって本来進むべき未来が妨げられる場合があるのです。
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4)両親、年長者、霊的指導者のアドバイス
たとえ未信者の親であったとしても、時にはその言葉を通じて導きを与える場合があります。反対された時に「どうせ親はクリスチャンではない」という態度ではなく立ち止まって考えるのは良いことです。
私達は娘の名づけで母に反対されましたが結果的には、今の名前のほうが良かったです。 
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ただ、聞き手が未成熟な場合は、優しいアドバイスにとどめて、容認する(良くないと思っても「いいよ」という)場合もあります。ですから、もし本気で聞きたければ警告も含めて受け取る覚悟を示すと良いでしょう。
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5)必要な資源があるか
ルカの福音書14章28節に「塔を築こうとする人は建てる前に費用があるかを計算するべきだ。」とあります。神から確信を受け取り信仰によって行動するとしても自分に欠けているものが何か知るべきです。
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6)自分の霊的生活との釣り合い。
上の資源とは金銭だけではありません。「信仰が必要な行動」であるなら、それを支えるだけの霊的な土台、すなわち信仰、祈りや神との関係があるかも吟味するべきです。ただ「導きを確信する」というだけで飛び込むのはおろかです。あなたの計画に賛同する人がいたとしても、あなたの霊的生活までは知らないです。
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7)否定的状況について分析
否定的状況があるからといって決断を取りやめる事はありませんがそれを分析し吟味するのは良いことです。たとえば健康上の問題がある人や、メンタルが弱い人は、身の丈に合ったチャレンジか考えるべきでしょう。
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8)自分の動機は何かを分析
人は誰かを喜ばせたり、歓心を買う為に自分の心に偽った行動をすることがあります。また、罪責感や責め、あるいは心の傷から行動する場合もあります。それらは時には信仰的に見えても正しい動機ではありません。
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9)平安があるかどうか : 心の平安は確認の為の大きな要素です。
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10)情報を集める 情報不足から来る不安もあります。情報を集めることも助けとなるでしょう。
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11)状況、年齢、地理、教育、健康、性別、行動の自由、経験、タイミング、必要、経済、その他
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12)聖書の言葉と聖霊が与える確信による
神は直接あなたに語ることができます。それは御言葉を通じてであったり、啓示によります。
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13)上に書いた1〜12の要素をすべて無視する。
サタンが妨げる場合がありますし、実際にどうするかはケースバイケースです。本人が決めるしかありません。
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■ 確認としるしを求める
しるしや不思議、奇跡によって確認がなければならないわけではありませんし、また、あったからといってそれだけで判断するべきではありません。それでも、後に不安になったり恐れを持ったりすることもありますので、しるしや奇跡があるなら、それはそれで困難の中で励ましとなることでしょう。
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■ 注意:状況により変化する。
(民数記14:40)で不従順だった民は責めと罪責感を感じました。それでその後主に従おうとしました。しかし、もうすでに遅かったです。その時点ではもう御心でなくなっており、かえって悪い結果となりました。