JP−A−A−4 中級編 Aグループ 旧約聖書概論 (第4) カインのいけにえと結婚、主の御名、天使
20/03/23 Ver.31/2  ● ■・■


聖書箇所:創世記4章1節〜26節
A
アベルは啓示によって最良の小羊を捧げました。しかし、カインのいけにえは受け入れられませんでした。
その理由について伝統的な解釈では、アベルはキリストのひな型である企保辻をささげたが、カインは労働の実をささげたから、とありますが、それは目に見える部分であって、本質は、動機が悪かったからでしょう。
神は喜んで捧げる人の捧げものを喜んで受け入れます。
B
■ポイント(1)心の動機が大切■
カインの捧げ物が受け入れられなかった理由は「正しい心で行なっていなかった」からです。
そのことは「罪が戸口で待ち伏せをしている」(創世記4:7)という言葉に表されています。
カインは妬み、アベルを殺しました。このことから、彼の悪い動機とは妬みであったことが分かります。

当時の人間は罪の性質を持ちながらも神様と会話できたのですが、にもかかわらず、殺人を犯したというのは驚きです。逆に言うなら、私たちが罪を犯したり、きちんとできないのは神の声を聞くことができないからだ、という考えが間違いだということが分かります。

人類最初の殺人の理由は妬み
人類最初の殺人事件は兄弟に対するねたみが原因でした。このことを本当によく心に留めておく必要があります。今日においても、教会の成長を妨げる妨げのひとつは「ねたみ、低い自己像、高慢」だからです。
D
■ポイント(2)カインの結婚相手と家系■
疑い深い人が、誰と結婚したのかと疑問を持ちますが、4章17節に書いているカインの結婚相手はおそらくアダムの子供です。聖書には、全ての子供の誕生の次第、特に女性については事細かに記してはいません。
アダムとエバは何百年も生きたからたくさん子孫がいたのでしょう。

近親者の結婚は今日、違法ですし、生物学的にもよいものではありません。しかし、当時の人類は今日とは異なります。ノアの子供にしても、一人が黒人、一人がアジア人、もう一人は白人と言われているほど、さまざまな人種の血が詰まった状態でした。ですから、当時は兄弟どうしで結婚しても問題なかったのです。、

当時二つの家系があった、一つはカインの子孫で、もうひとつはセツの子孫です。
カインの家系が罪に満ちたもの(4:22)である事と対照的にセツの家系は心が正しいものでした。
セツの意味は「立てる、固定させる」です。その言葉のごとく、カインの家系に代わって地を受け継ぐ家系が神によって立てられました。

■ポイント(3)主の御名■
ここで「主の御名」という言葉が出てきます。この主とは神様の名前が記載されており特別な意味を持っています。一般的な意味の「主=主人」と区別するために、新解釈聖書では太字で書かれています。
どうして名前をそのまま記さないのかというと、主の御名を口にするのを恐れてイスラエルの民は記載はしたけど発音しなかったからです。

記載されているのだったら読めそうなものですが、ヘブライ語は基本的には子音しか書きません。たとえば「Yoshihiro」は「Yshhr」と書くようなものです。実際には母音として読ませることも多いので思ったよりは不便ではないのですが、それにしてもわかりにくいです。それで主の名は「YHWH」と書くのですが、ヤハウエなのかエホバなのか読み方がわからないのです。

私は個人的には、「イエホア」ではないかと思っています。
理由は、イエスの名は「イシュア」と言われていますが「イエホシャ」だとしたら、前半はそれと同じ音だからです。まあ、わからないので、何とも言えませんが。

ちなみに、ヤハウエの根拠は、詩篇に 「YH」と書いて、ヤハ、と読ませているからです。

■ 主の名を呼び求める
2017では、「主の名を呼ぶことを始めた。」カラ この言葉は同じ節の「エノシュと呼んだ」の「呼んだ」と同じ言葉です。古い訳で、祈ると訳されていることも間違いではありません。
一つの有力な祈りの方法は、主の名を呼び求めることです。第一にその御顔をしたい求めることです。ヘブライ語で「顔」を意味する「パニーム」は臨在という意味もあります。

名を呼ぶというのは、その名の性質を呼ぶことでもあります。すなわち「ヤーウエ〜」という表現だけ次のようなものがありますし、「癒し」(出15:26)、「旗」(出17:15) 「備え主」(出22:14)、「聖なる方」(レビ20:8)、「平安」(士6:24)「正義」(エレ33:16)、「ここにおられる」(エゼキ48:35)など数々の良い性質があります。

また、「主は私の羊飼い」(詩篇23:1)的なものも入れると本当にたくさんあります。私たちはそれらを宣言し、その性質に従って祈ることができます。
F
■ポイント(4)弱いものこそ強い■
エノシュの意味は「弱い」「壊れやすい、なおらない」です。しかし、この弱い、となずけられた人が礼拝者となっていくというのは、それはまさに聖書の真理です。このことからわかることは弱さゆえに主の名を呼び求め祈るようになるとしたら、その弱さが益となるということです。次の御言葉を思い起こさせます。
G
第2コリント12:9 すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。 12:10 それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。
H
■ポイント(5)弱さをさらけだす■
にもかかわらず、神様に対して強がり、すがりつくことをしないが為に主のみ力を見ることができない人がいます。弱いというのは特権です。ただ主にゆだねればよいのです。
I
※ 当時の人間が長寿の理由。  大洪水以前の世界は、天空に分厚い水蒸気の層があったので有害な紫外線が遮断されました。それはまた高い気圧を生み出し、温室効果で地球上は寒暖の差はなくどこも温暖だったと考えられています。この環境は生命維持には最高で、長寿をもたらしていたのでしょう。

■ 天使
6章4節に「神の子と女との間に子供が出来た」という記述があります。
この「神の子」と訳された言葉はヘブライ語で「ベネ・エロヒム」で「神の子」という訳に間違いはありませんこの御言葉を理解するのに必要な知識は、神の子とはだれかを知ることです。

神の子は主に次の4つの意味ですが「キリスト、アダム、私達、御使い」実はもう一つあります。
(ヨブ記1:6) ある日、神の子らが主の前に来て立ったとき、サタンも来てその中にいた。
ここにあるようにサタンも「神の子」と表現することがあります。なぜなら、サタンは元御使いだからです。
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この堕天使の違反について「エノク書」に詳しく書いています。これは正典ではありませんがユダ1:14で引用されていることや、死海写本に含まれていることから、イエス様の時代までは普通に読まれていたようです。

■ 神の方策
なぜ悪霊と女と性交が可能だったのか。また、人の年齢を120歳までにすれば何故それを防げるのか理由はわかりません。とにかくこれ以後はそういったことは起こっていないようです。

いずれにしても、そのような悪の血がまざった人間が地上に増えてくることも相まってこの地は暴虐に満ちてしまいました。それで神は大胆にこの地を一掃することにされました。それが大洪水です。