JP−AーA−6 中級編 Aグループ 旧約聖書概論 (第6) 福音の雛形・アブラハム
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聖書箇所(創世記12章〜22章)

まずこの学びの前提としてで知って欲しいことは、救いや福音というものは新約聖書から始まったのではなく、旧約時代から提示されているものです。(新約聖書に出てくる聖書とは旧約聖書のことです。)ですから、旧約聖書に提示された福音の恵みを理解することも大切です。そうでないと旧約聖書が前時代的な遺物だと捕らえられてしまいます。そしてその新約聖書的な要素の全てがアブラハムの生涯を通じて掲示されているのです。
A
(ガラテア3:8) 聖書は、神が異邦人をその信仰によって義と認めてくださることを、前から知っていたので、アブラハムに対し、「あなたによってすべての国民が祝福される。」と前もって福音を告げたのです
B
A−1で見たように罪に落ちた人類の回復の手始めとして神は「アブラム」を選びそれを通じて「イスラエル民族」を選びました。彼はもともと偶像礼拝の町の生まれで、私達と同じように最初から神を知っていたわけではありません。しかし神の選びゆえ、彼の心に真の神を求める心が与えられ神に従ったのでした。
CD
☆ アブラハムの功績、始めたこと、特徴
特徴(1)信仰の父
今日ユダヤ人(旧約聖書のイスラエル人)と呼ばれている人の最初の祖先はアブラハムです。
また、血はつながっていなくても、信仰によって神を信じる私たちもアブラハムは最初の祖先なのです。
E
(ローマ4:16 ・・・、アブラハムの信仰にならう人々にも保証されるためなのです。「わたしは、あなたをあらゆる国の人々の父とした。」と書いてあるとおりに、アブラハムは私たちすべての者の父なのです。
F
神がアブラハムを義と認めたのは信じたからでした。信じることはクリスチャン生活の土台です。
G
創世記15:5 ・・・「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」さらに仰せられた。「あなたの子孫はこのようになる。」15:6 彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。
H
(ヘブル11:6) 信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。
I
特徴(2)神と契約を結んだ
(創世記15:18)主はアブラムと契約を結んで仰せられた。「わたしはあなたの子孫に、この地を与える。・・・・
J
私たちが救われる理由は神の気まぐれや単なる哀れみによってではなく契約によるのです。私たちがよい人であるとか行状が良いからというわけではありません。
K
☆ 神がアブラハムと結んだ契約には次のような特徴があります。
(A)血による契約
(B)「片務契約」一方的な契約
L
創世記15:17その時、煙の立つかまどと、燃えているたいまつが、あの切り裂かれたものの間を通り過ぎた。
M
(A)動物が引き裂かれたことは、救いには犠牲が伴うことを示しています。アダムの裸を覆うための衣は動物の皮で作られましたが、これは救いには血の代価が必要であることを示しています。
N
全人類の罪をあがなうために十分な動物は存在しませんが、神の一人子イエスの犠牲は全人類に救いを与えました。血による契約はこのことを予告していたのです。
O
(B)この「燃えるたいまつ」は神の臨在を象徴しています。通常、契約を結ぶ場合、(契約を破るものは血の代償が伴うことを示すため)両者が「引き裂かれたけもの」の間を通らねばなりません。(印鑑の赤い色は血の契約の名残です)しかしこの契約では人は契約の担保を差し出すこと無しに神が一方的に結びました。このことから二つのことが言えます。
P
神と私たちとの間の契約は神が一方的に結ばれたがゆえ、私たちに罰則規定がなく、私たちは何もしなくても良いということ。救いは神側の一方的な契約です。これはキリストが私達を救う為に一方的に命を投げ出した事を表します。私たちの行いは救われるためにはなんの役にも立ちません。
Q
(3)信仰を表す行動は必要。
アブラハムはイサクをささげたものの実際には死にませんでした。このことからわかることは、救いや祝福は私たちの努力によって得るものではありませんが、私たちは信仰をあらわす必要があります。
信仰とは行動によって表されるものだからです。
R
創世記24:14・・・その娘が『お飲みください。私はあなたのらくだにも水を飲ませましょう。』と言ったなら、その娘こそ、あなたがしもべイサクのために定めておられたのです。
S
水を飲ませるという「行い」をしたかどうかによってリベカがイサクの妻になるべきかどうか決まったわけではありません。水を飲ませると言うかどうかでした。すなわち、「心の態度」が重要なのです。
(21)
「救いは信仰による。」(第1ペテロ1:5)「行動がなければ信仰は死んだものである。」(ヤコブ2:26)という御言葉から「救われるには行いが必要である」と勘違いする人がいます。確かに救いは無償のプレゼントですが、しかしリベカがイサクの妻となった過程を知るなら、「行動に移す心」「心の方向性」・・すなわち「信仰」が必要だということがわかるでしょう。
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その救いに向けて心を向ける行動の第一歩は「キリストを告白すること」です。「告白」には「決心」が必要です。マニュアルとしての救いの第一歩は(ローマ10:9−10)にしたがって告白から始まりますがそれにはこのような意味があるのです。
(23)
ですから、私たちは、アブラハムの信仰に倣うためには、従順や信仰的な行いによって、また、具体的なささげ物によって自分の信仰を表していきましょう。
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特徴(4)子孫に対する約束
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特徴(5)神にゆだねる
ロトのしもべたちと争いがあっても彼は自分で選ばず(創世記13:9)神にゆだねました。
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特徴(6)十分の一の捧げもの(創世記14章20節)
収入の十分の一を献金として捧げることは律法主義的なので新約聖書の習慣ではないという人がいます。しかし、そうではありません。律法が与えられる以前にアブラハムが自主的に始めたことです。私達は彼の信仰を見習うのです。
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特徴(7)契約のしるしを身に負った: 
彼は割礼(外的なしるし)を受けました。同様に私たちも心に割礼(ローマ2:29)を受ける必要があります。それは外から認められる心の態度を意味します。
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特徴(8)よみがえりに対する信仰(創世記22章)(ヘブル11章19節)
(第1コリント15:4)にあるようによみがえりは福音の中心的なメッセージのひとつです。
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特徴(9)とりなしの祈り(創世記18:23〜)
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特徴(10)祝福を受けるだけでなく神をもてなした(創世記18:8)