JP−A−A25 中級編 旧約聖書概論 Aグループ  (25) 詩篇
2018/4/17 1/2 ● ■・■

聖書箇所:詩篇
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詩篇は五百年かかって編纂された詩であり主な作者はダビデ、アサフ、レビ人、エゼキエル、エズラなどです。
もともとはメロディーがついていたようですが、今では、それらはわからなくなっております。時折登場する「セラ」という言葉の意味は「休止、」を意味する音楽記号、あるいは朗読記号であると考えられており、もともとメロディーがあったことのなごりといえます。
A
詩篇は新約聖書に400回以上引用されています。新約聖書はおよそ7957節あるので、新約のおよそ5%が詩篇だといえます。それゆえ、詩篇を理解することは、聖書全体を理解する上で重要なのです。
B
詩篇はヘブライ語で「テヒリーム」といいます。「テヒラ」は賛美を意味するいくつかの言葉の一つですが、その複数形だということです。
テヒラ( 8416. tehillah)は「霊の賛美預言的な賛美である」という教えをよく聞きますがその根拠については確認できませんでした。いずれにしても詩篇の詩は全て預言的に与えられた新しい歌でした。

C
(第2サムエル記23:1〜2)にダビデの最後のことばとしてこのように書かれています。「高くあげられた者、ヤコブの神に油そそがれた者の告げたことば。イスラエルの麗しい歌。23:2 「主の霊は、私を通して語り、そのことばは、私の舌の上にある。
D
そのように、詩篇は麗しい歌であり、主の霊による霊感によってかかれたものです。また、特別に選ばれた人によってかかれたものです。
E
選ばれた人間とはいえ、不完全な存在であるものが神の霊によって語るということは、その詩の中に、「神よ。彼らの歯を、その口の中で折ってください。」(58:6)など復讐を願う言葉や自身の葛藤(3章〜6章)からの視点というものも含まれるということです。
F
詩篇23編は最も有名な詩です。
一見ほのぼのとした詩ですが、羊飼いをしていたダビデが書いたということを知れば、この詩が持つ力強さがわかることでしょう。
彼は必要なことの多くを荒野での羊の世話から学びました。どうして「むちや杖23:4」が私たちの慰めとなるのでしょうか?杖と訳された「シェイベット」は外敵から羊を守るためのものです。
G
心が傷ついた人の中には神や牧師が霊的な権威を持っていることに恐れを感じて近づくことができない人がいます。しかし、その権威は私たちを守るためのものであることを知らなければなりません。
H
ダビデはゴリアテと戦いました。それは一見無謀に見えますが、彼には自信には根拠がありました。それは羊飼いをしながらライオンや熊を倒した経験があったからです(1サムエル17:34)。
I
彼の力が、地味な仕事を忠実にこなしていたことが源であることを知るなら、私たちもまた日常生活の一つ一つを大切にこなしていくのです。
J
私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。(詩篇23:5)
K
クリスチャンになったら、生活の問題がなくなるわけではありません。何の問題もなく、平和な人生になるわけではありません。しかし、この言葉にあるように、敵(悪霊や困難)の面前であっても、そこで主は私たちを養い、平安を与えてくださるのです。
L
詩篇42編
これは打ちひしがれた人が主を求め、力を得る詩です。彼がしたのはこのようなことです。
(1)主をしたい求める。 (2)神の約束を思い起こす。(3)心を注ぎだす。 (4)魂に命令する

5節と11節に「42:5 わがたましいよ。なぜ、おまえは絶望しているのか。御前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。御顔の救いを。」とあります。意思が魂を従わせるのです。
M
詩篇の中でよく見られるパターンは神に対する愚痴から始まるのですが、最後は神への賛美で終わるというものです。(特に詩篇3編〜22編)

このことからわかるように、私たちは主に対して本音を投げつけてよいのです。かしこまってお行儀よくしていなければならないわけではありません。苦しい時には苦しいとつげ、愚痴をこぼしてもよいのです。
N
ただ、詩篇の作者のすばらしいところは、ずっとその状態にとどまっているのではなく、最後はいつも神への賛美としたことです。そのような方向性を持つことが大切です。
O
詩篇の3編〜18編あたりには敵に対する呪いの言葉が書かれています。これらの言葉は人間的に捕らえるならたんなるうらみつらみでしかありませんが、神が私たちの宣言や告白を通じて敵を征圧されることを理解しているなら、それは信仰の宣言となるのです。
P
※ 私たちの告白を用いられる根拠
(A-A-09)と(@-F-03)で「仲介者」についての教えがあります。要約すると、神が人を作られた大きな理由のひとつは「霊の世界と目に見える世界の仲介者とするため」です。
ですから、私たちがする行動の全てが仲介者としての役割を果たすものであり、かっこいい祈りの言葉や宣言だけでなく、嘆きや、悲しみであってもその行動は神の霊的な力をこの地上にもたらすためのものなのです。
Q
詩篇は第1巻(1-41)、第2巻(42-72)、第3巻(73-89)、第4巻(90-106)、第5巻(107-150)と分けられておりますが、もちろん内容は交錯してますし、多岐に渡ります。
そういった中で主なテーマとしては次のように分類することが出来ます。
R
神の主権に関する                    (第1巻)
救い、あがないに関する          詩篇3編、詩篇14編、18編(第1巻)
神の聖さについて                    詩篇73編〜89編(第3巻)
メシアに関する                        詩篇22編
ハレルヤ・賛美                        詩篇107編〜118編
悔い改めの歌               詩篇51編
敵に対する呪い                        詩篇3編〜18編
都上りの歌                   詩篇120編〜134編
賛美の方法の教え                    詩篇149-150
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私たちのような教会に初めて来た人は伝統的な教会の賛美でないことに驚かれることがしばしばあります。その時には、詩篇149編と150編を用いて解説します。
聖書的な賛美とは、新しい歌を、喜びにあふれ、踊りながら、弦楽器(ギター)で、タンバリンを打ち鳴らし、シンバル(ドラムセット)でにぎやかに、角笛を吹き、敵の仕業を打ち壊す宣言をすることなのです。
(21)
詩篇に「ハレルヤ」という言葉がよく出てきます。その原語は「ハラル」で聖書に165回登場しますが、本来の意味は「輝く」です。つまり爆発的な炸裂する賛美なのです。

詩篇68:3に「小おどりして喜べ」とあります。その意味は「とびあがらんほどに喜ぶ」という意味です。「小おどり」と訳されている箇所がそうではないかもしれませんが、同じ節にヘブライ語で「シムハッ」という言葉が登場します。それは仮庵の祭りの一週間後にある「シムハット・トラー」という祭りを思い出します。あるYouTubeの映像で超正統派のユダヤ人がはしゃぎまわって踊り賛美している姿を見ることができます。
 (22)
いずれにしても詩篇は奥深いもので一言で説明することは出来ません。大切なことは、詩篇を味わうことです。