JP−A−A27  中級編 旧約聖書概論 Aグループ  (27) ソロモンと王国分裂
2018/01/291/2  ● ■・■

聖書箇所:第1列王記1章〜12章
A
ソロモンの意味は平和ですが第2サムエル12:25にあるように預言者が与えた愛称はエディデヤです。その意味は愛されるもので、ヘブライ語の「愛する」ヤーディド(????)と「主」ヤーの合成語です。
B
ダビデは姦淫を犯しバテシェバの夫を殺しました。ダビデほど主を愛し霊的であった人が聖書の中に記された数々の罪の中でも際立った過ちを犯していることは驚きです。しかし、そのような中にあっても、主は回復を与える方です。姦淫によってバテシェバとの間にできた子供は死にましたが、その後バテシェバは正式な妻となり、彼女との間にできた子供がソロモンです。その出来事は主の心そのものです。すなわち、心から悔い改めるときに、ただ罪が赦されるだけでなく、その関係を通じてでさえ神は祝福を与えることができるのです。
C
ソロモンが王としての油そそぎを受けて王とされた後、彼は主に会い礼拝するためにギブオンに行きました。ダビデが愛した契約の箱はダビデの町(エルサレム)にあったのですが、(A-A-21-礼拝者の心得)で学んだように、主の臨在をただ求めるだけの浮ついた礼拝ではなく、自分を犠牲にするいけにえをささげたいという心の現われのように思います。彼はそこで一千頭のいけにえをささげ主への熱心を見せました。
D
その礼拝は主に喜ばれるものでした。その証として、その夜に主はソロモンに現れ「あなたに何を与えようか。願え。(1列王3:5」と語りました。そのように語られたら皆さんは何を求めるでしょうか?
E
ソロモンは民を治めるための知恵と知識を求めました(1列王3:12)。その自己の利益を求めない姿勢を主は喜ばれました。それゆえ、彼に知恵と知識だけでなく富と誉れも与えました。
この出来事は「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタイ6:33)という言葉を思い起こさせます。
そのようなわけで彼はこの地上で最も祝福された者の一人として人生の新たなステージを歩み始めたのです。
F
彼がした最も大きな功績は神殿を建築したことです。それは父ダビデの悲願でした。ダビデは彼の為に建築に必要な全てのものを準備しました。その様は第1歴代誌29章に記されています。
G
先の代の者が全てを準備して、次の代のものが(たやすく)本格的に建て上げること、これは聖書の中でよく見られるパターンです。それはモーセとヨシュアの関係であり、キリストと教会の関係です。キリストは十字架の死と蘇りにより敵の力を打ち砕き、私達を暗闇から救い教会に加え、教会をこの世に遣わしたのです。
H
神殿の建築にツロの王フラムの大きな手助けがありました(2歴代誌2章)。ツロはフィニキア人でイスラエルの北部にある都市国家でした。彼らは海上貿易を一手に握っており、非常に豊かなでした。フラムは熟練工とレバノン杉を送り、ソロモンは食料を提供しました。
大きな事業を成し遂げるために必要なことは良い関係であるということがわかります。
I
かつてアブラハムがイサクをささげたモリヤ山、すなわち現在のエルサレムの神殿の丘で神殿の建築にとりかかりました(第2歴代誌3:1)。興味深いことに、この場所が特別な場所であったことは誰も知りませんでした。ただ麦の穂を打つための場所として使われていたのです。
しかし(A-A-21-礼拝者の心得)で見たように、ダビデが罪を犯し悔い改めたことによって啓示されたのです。
悔い改めによってかろうじて状況が良くなるだけでなく、人類歴史上の最も重要で意味のある場所が、啓示され、最も意味のある建築がそこでなされるというのは驚くべきことです。逆転の人生です。
J
ソロモンの祈り(第1列王記8章)
神殿の奉納式でソロモンは祈ります。この時「父ダビデの為に」「父ダビデに約束したように」という言葉が10回も出てきます。ソロモンは知っていました。祝福は、自分の謙虚さや能力によるものではなく、父ダビデがあってこそだということを。ソロモンにとってダビデは私たちにとってキリストのような存在です。
K
ですから、この祈りは、私達の祈りに似ています。つまり「キリストの名」による祈りです。ダビデがキリストの雛形だといわれるゆえんはこんなところにも見え隠れします。
L
■ソロモンの罪(1列王記10:16〜11:8)
そのように、神の祝福の中で彼の働きは始まりましたが、おごり高ぶりが彼を迷わせてしまいました。「多くの妻を持ってはならない。心をそらせてはならない。自分のために金銀を非常に多くふやしてはならない。」(申命記17:17)と神は語っていたにもかかわらず、その両方を犯してしまいました。
M
それはおそらく「彼がその王国の王座に着くようになったなら、レビ人の祭司たちの前のものから、自分のために、このみおしえを書き写して、自分の手もとに置き、一生の間、これを読まなければならない。それは、彼の神、主を恐れ、このみおしえのすべてのことばとこれらのおきてとを守り行なうことを学ぶためである。」(申命記17:18)という言葉を実行しなかったからでしょう。
N
彼は知恵者中の知恵者だったのでおそらく聖書の言葉(モーセ五書)をすべて暗記していたことでしょう、しかし、知っているからといってそれを読まなくても良いというわけではありません。
O
●王国の分裂(第1列王記12章)
ソロモンの死後王権の争いがありました。結果的にイスラエルは「南ユダ」(レハブアム王)と「北イスラエル」(ヤロブアム王)に分裂します。元々ヤロブアムには王位継承権はなく、正当な王に反逆しましたが、彼の根拠は預言者に王として任命されたということです。
つまり王国の分割は神が決められた事でした。(1列王記11:29−)
P
彼の特徴(1)手腕家であり国家の役務を管理していました。(1列王記11:28)
(2)ソロモン王から信頼されていた。(同箇所)(3)彼の将来は神のお墨付きだった。(1列王記11:29〜31)預言者から王になることを預言されていた。(4)彼もそれを望んできた。(1列王記11:37))
つまり彼には能力と賜物と召しと油注ぎがあり、彼の願いは単なる自己実現ではなく神からおすみつきだったということです。このような全ての条件が備わった彼がどうして失敗したのかを知るのは興味深いことです。
Q
その原因について知る事は、主から召しを受けたと考えるその他多くの人たちの祝福となることでしょう。
R
彼の第一の問題は(A-A-19-ダビデ1)にあるように 預言を受けたときに彼は人が変わってしまったことです。
そう、彼は高ぶってしまったのです。
S
彼が失敗したもうひとつの大きな原因は「時期を間違えた事」でした。
11章37節に預言者は「私が召したなら」と言いました。すなわち「神が定めたときが来たら」という意味です。しかし彼はいつ王になったのでしょうか?12章20節にあるように「会衆が召したとき」に彼は王になりました。私達のタイミングは人の欲求によるものであってはなりません。はダビデのように神のときをじっと待つ謙虚さが必要です。
(21)
神が彼を立てたのであるなら何も恐れる必要は無かったにもかかわらず。そのように御心からずれた行動をした結果、彼の統治にはいつも不安が付きまといました。
彼が恐れを抱いた結果、民を偶像礼拝に引き込んでしまったのです。(1列王記12:26−29)
(22)
実際問題、恐れと偶像礼拝には関連があります。偶像礼拝にはいくつかの意味があります。@ひとつは文字通り神ではない偶像を拝むことです。Aもうひとつは、神と自分の間に神との関係を妨げるものを置くことです。
その場合、恐れを抱いた結果の反応には2つの種類があるといえます。ひとつは、幼子が恐れを感じたときの反応です。つまり、怖いときに親のところに飛び込むことです。これは恐れの結果神に近づくことを意味しますが、もう一つの反応は、恐れた結果神から離れてしまうことです。
(23)
黙示録21:8 しかし、おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行なう者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。」
この御言葉を読むときに恐れというものは私達が想像する以上に重大な罪であることがわかります。