JP−A−A29  中級編 旧約聖書概論 Aグループ  (29) エリヤとエリシャ
2018/09/04 1/2  ● ■・■

聖書箇所: 第1列王記17章〜第2列王記13章
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第1列王記17章でエリヤという預言者が突然登場し「私の言葉によらねば再び雨は降らない」と宣言しました。これはエリヤはアハブ王の悪行に対して主が彼の悪行を取り扱い始めることを意味します。
A
その後、主はケリテ川のほとりに導かれます。王に立ち向かうかっこいい預言者の役目を果たした後、地味で目立たない生活へ導かれました。これは私達にも言える事です。たとえ一時的に、主の栄光を体験したにもかかわらず、再び地味な生活を強いられるかもしれません。でも心配しないでください。神はエリヤに対してもそのようにさせたのです。それは私たちがへりくだり、自我を砕き、次の働きに備えさせるためなのです。
B
その後、カラスによって超自然的にパンと肉が運ばれるという奇跡を体験させます。
C
主の超自然的な供えの中にありましたが、その後その川も涸れてしまいました(17:7)
これは、どんなに大きな主の奇跡、主の導きの中に歩んでいたとしても、ただ、それだけを続けていれば良いわけではないことを物語っています。
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次の奇跡は「やもめに養わせること」でした。金持ちに身を寄せるのではなく乏しさの故に子どもと心中を図るつもりだった女、すなわち極貧の中の絶望したもっとも弱い立場の人を用いて養わせるとは何と言う神様のユニークでしょう。このときに女は小麦粉とオリーブ油が食べても食べてもなくならない奇跡を体験しました。
E
このことは、神の働きの為にささげる人を神は豊かに祝福することの現われです。
F
この後エリヤは850人の偶像の神に仕える預言者(18:19)と対決します。カルメル山に偽預言者たちを集めて「天から火を下して答える神がまことの神である」としました。
偽預言者がいくら呼ばわっても、神は答えませんでしたが、エリシャが神に呼ばわったときに、天から火が下り用意されたいけにえが燃えつくされました。
G
その結果、イスラエルの民は「主こそ神です。」と叫んで主の主権を宣言しました。
主こそ神という言葉は原語では「ヤハウエは神である」という意味です。
H
エリヤは偽預言者たちを殺し、その後、エリヤが祈るときに、再び雨が降りました。
I
再び雨を降らせるには徹底的な祈りが必要です。エリヤは7回繰り返して祈ったとありますが、これは徹底的な祈りを意味します。7という数字は完全数だからです。
J
エリヤは勝利しましたが、その後すぐにアハブ王の妻のイゼベルが立ち上がりました。なぜかエリヤはひどく恐れてしまい、震えて逃げ出してしまいました。このことはアハブの妻に働いていた霊が並ならぬものであることが伺えます。イゼベルの霊とは脅かしを与え、預言者を殺す霊なのです。
K
このことは、どんなに油注がれた預言者であっても油断すると足をすくわれることを意味しています。
L
エリヤの問題は何でしょうか?
ひとつは、全ての働きを一人でしていたことです。もちろん、従者もいましたし民も手伝いましたが、聖書の記述を文字通り受け取るなら、火を呼び下した後、標高546mのカルメル山を降り、キション川まで下り、また山に登るという行程でした。
M
19章でエリヤがうつになったことになぞらえて、教職者が燃え尽きることを「エリヤ症候群」と呼びます。その状況の特徴は「ただ私だけが残りました(19:14)」と彼がつぶやいたように、孤独の中にいることです。
N
エリヤは普通の人であったとヤコブ5章17節は告げています。普通の人が奇跡をなしえた理由は彼が義人であったからですがヤコブ16:16によると義人の定義は「互いに罪を言い表し、祈りあえる」コミュニティーの中にいることののようです。確かにエリヤが落ち込んだのは若い者と離れたときからでした。
O
エリヤが復活した後に主が与えた使命のいくつかのひとつはエフーに油を注いで王として立てること、エリシャに油を注いで自分の後継者として預言者に任命することでした。
P
エリシャが畑を耕していたときに、そこを通りがかったエリヤが彼を召しました。エリシャは十二くびきの牛で畑を耕していたところを見ると裕福な農民であったようです。しかし、彼は両親に別れを告げた後ためらいもなくエリシャについていきました。
このいさぎよさに習って私達も主についていきたいものです。
Q
エリシャはエリヤと共に各地を行きめぐり、彼に仕えました。エリヤが天に召されるのが近いことを感じたとき、彼はエリシャに「何を願うのか?」たずねました。エリシャはエリヤに「あなたの霊の、二つの分け前が私のものとなりますように」願いました(第2列王記2:9)。
R
彼は名声も富みも求めず、ただ油注ぎを求めました。
S
彼は単に2倍の油注ぎや二倍の祝福を求めたわけではありません。この願いは「エリヤの後継者となること」だからです。神の律法(申命記21:17)によれば、父の財産が譲渡される場合、他の子どもに対して長子は二倍のものを受けるからです。
a(21)
このことからわかることはエリヤとエリシャの関係はキリストと教会の関係であるということです。
ヘブル人への手紙12章23節には「天に登録されている長子たちの教会」と教会のことが表現されております。事実、聖書が語っていることはエリシャはエリヤの2倍の奇跡を行ったということです。
(22)
また、新約聖書も、ヨハネの福音書14章12節で「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行なうわざを行ない、またそれよりもさらに大きなわざを行ないます。わたしが父のもとに行くからです。」と語っております。
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さて、「エリヤが天に昇るのを見るならそのようになるだろう」という言葉のとおり、エリシャはそれを見ました。それは2倍の油注ぎを受け取り、それを用いれるだけの十分な霊的な目を持っているということです。
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エリヤは生きたまま天に引き上げられました。おそらく、キリストの再臨の時の携挙のように新しいからだが一瞬にして与えられたのでしょう。携挙については第1テサロニケ4章17節に書いてあります。
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エリシャがエリヤの霊を引き継いだ事は他の預言者の目にも明らかでした。(2:15)エリヤの霊といってもエリヤと言う人間の霊ではありません。エリヤに働いていたのと同じ霊的な力という意味です。
(26)
敵をとりまく火の戦車(第2列王6:15-17)
あるときエリシャとその召使がアラムの大群に囲まれました。召使はそれを見て恐れました。
しかし、エリシャは霊的な世界を見ておりました。それゆえ彼らを取り囲む敵の大群をも取り囲むさらに多くの天の軍勢が敵を取り囲むのを見たのです。
(27)
約束をたがえない主
第A列王記13章20節でエリシャは死にました。(ちょっとあっさりですね。)しかし、その骨ですら死者を生き返らせる力があった(13:21)のですから、すさまじい油注ぎがあったことを意味します。
ジェリー先生の教えでは、このことが起こったのは、エリシャに2倍の油注ぎを与えたにもかかわらず、一人を生き返らせた (4:35)だけだったからだと解説しています。
(28)
主は、約束を守られるかたです。
神があなたに約束されたことの中で、まだ成就していないことがあるなら、忠実な神はそれを実現させてくださることでしょう。