JP−A−A30  中級編 旧約聖書概論 Aグループ  (30) イザヤ書
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2009/01/15

聖書箇所:イザヤ書

イザヤ書は聖書の全体から見てもかなり重要な書です。それは量が多いだけでなく、新約聖書につながる重要な預言が書かれているからです。
イザヤ(イサイア)の名の意味は「ヤハウェは救い」です。(イシュアの短縮形のイサ+ヤハウェのヤ)
そして8:3にあるように女預言者を妻としておりました。

イザヤの召し
6章にイザヤが預言者としての召命をどのようにして受けたのかについて書かれています。
ウジヤ王が死んだ年、その言葉は一つの時代の変化を表しています。ウジヤ王の時代にイスラエルは繁栄しました。しかし、イザヤの子の名の意味が8:4に「それは、この子がまだ『お父さん。お母さん。』と呼ぶことも知らないうちに、ダマスコの財宝とサマリヤの分捕り物が、アッシリヤの王の前に持ち去られるからである。」とあるように、繁栄の後の崩壊への暗雲が立ち込める時代の分かれ目だったのです。

万軍の主の栄光に触れ、けがれた自分の姿を見せられて、死を覚悟しましたが、セラフィムが持ってきた祭壇の炭火が彼の唇に触れ、きよめられた結果、彼は恐れから解放されました。このセラフ(単数形)は民数記21章の燃えるヘビと同じ言葉であり、キリストの十字架を象徴しています。

イザヤ書に書かれた重要な預言を羅列します。

◆千年王国(平和の時代に対する預言)
千年王国は黙示録20章に書かれた出来事で、キリストが再臨した後にサタンが縛られた千年間の平和な時代です。
その描写は11:8に「乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。」とあるように、ある意味、エデンの園が失った平和の楽園を再現したようなものです。
とはいえ、65:20に「人の寿命は木のよう・・百歳で死ぬものは若かったとされる」とあるように一応死というものはあるので、それはまだ最終段階ではありません。

◆処女懐胎と神が人となることのの預言
7:14 それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。

◆神が人となって生まれることの預言
9:6 ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
 9:7 その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。

この預言はキリストが神であることをわたしたちに伝えます。

◆エッサイの家系から、またナザレで育つことの預言
11:1 エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。(根株の原語は「netser(??? )」)。これはマタイ2:23で「この方はナザレ人と呼ばれる。と言われた事が成就するためであった。」と引用されてます。

普通に聖書を読むなら11:1の御言葉が「ナザレでメシヤが生まれること」の預言とは受け取れませんが、御言葉(新約聖書)によって御言葉(旧約聖書)が解釈されているので、間違いない解釈なのです。

◆サタンの起こりについての描写
14:12 暁の子、明けの明星よ。どうしてあなたは天から落ちたのか。国々を打ち破った者よ。どうしてあなたは地に切り倒されたのか。

◆キリストが死に打ち勝つことの預言
25:6 万軍の主はこの山の上で万民のために、あぶらの多い肉の宴会、良いぶどう酒の宴会、髄の多いあぶらみとよくこされたぶどう酒の宴会を催される。
 25:7 この山の上で、万民の上をおおっている顔おおいと、万国の上にかぶさっているおおいを取り除き、
 25:8 永久に死を滅ぼされる。神である主はすべての顔から涙をぬぐい、ご自分の民へのそしりを全地の上から除かれる。主が語られたのだ。

◆バプテスマのヨハネ(主の道を備える預言者)の預言
40:1 「慰めよ。慰めよ。わたしの民を。」とあなたがたの神は仰せられる。
 40:2 「エルサレムに優しく語りかけよ。これに呼びかけよ。その労苦は終わり、その咎は償われた。そのすべての罪に引き替え、二倍のものを主の手から受けたと。」
 40:3 荒野に呼ばわる者の声がする。「主の道を整えよ。荒地で、私たちの神のために、大路を平らにせよ。

これは偶然でしょうがイザヤ書は66章あり、聖書も旧約と新約をあわせて66巻あります。旧約は39巻で終わり40巻目から新約が始まるのでイザヤ書40章は新約の始まり的な意味を持っています。
事実、イザヤ書も40章からその内容は希望を救いを与えるメッセージに変ります。

◆ペルシャのクロス王がエルサレムの神殿を再建させることの預言
44:28 わたしはクロスに向かっては、『わたしの牧者、わたしの望む事をみな成し遂げる。』と言う。エルサレムに向かっては、『再建される。神殿は、その基が据えられる。』と言う。」

クロスが生まれる(BC600)の100年ほど前になされた預言です。個人名を特定しその働きを描写することは、聖書の中でも際立った預言です。

◆キリストの生涯の描写(53章全体)
53:3 彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。
 53:4 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
 53:5 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
53:9 彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。彼は暴虐を行なわず、その口に欺きはなかったが。
 53:10 しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。

53章の御言葉は的確にキリストの生涯を預言しております。それゆえユダヤ人伝道(新約聖書を信じないが旧約聖書は信じている)の鍵となる御言葉です。

◆キリストの御業の預言
61:1 神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕われ人には解放を、囚人には釈放を告げ、
 61:2 主の恵みの年と、われわれの神の復讐の日を告げ、すべての悲しむ者を慰め、
 61:3 シオンの悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、悲しみの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるためである。彼らは、義の樫の木、栄光を現わす主の植木と呼ばれよう。
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イザヤ書の正しさの証明
イザヤ書はメシヤ預言のその正確さゆえに後の時代に付け足されたものではないかと疑われておりました。というのも19世紀までの最古のヘブライ語聖書の写本は925年頃(アレッポ写本)のものしかったからです。
しかし1947年にクムランの洞窟で死海文書が見つかったことにより、イザヤ書はキリストが誕生する以前から変っていないことが証明されました。