JP−A−A37  中級編 旧約聖書概論 Aグループ  (37) 小預言書・後半
19/05/211/2  ● ■・■

聖書箇所:ヨナミカ、ナホム、ハバクク、ゼパニアハガイなど各書
A
◆ヨナ書                                                                                                                                                           
ヨナ書は短くまた物語として書かれているのでもっとも読みやすい預言書だといえます。ヨナは欠点のある人間でしたが、その彼が預言者であることを見るときに、神はどのような人でも用いれることがわかります。
B
彼は御心を知りながらそれに逆らいました。それゆえ、彼に改心の機会を与えるために神は嵐を送りました。
C
ただし、このようなことは、今日ほとんど起こらないと思います。彼は旧約の預言者という特別な地位(間違った事を言えば石打に合うほどの責任のある立場(申命記18:20-22))であるがゆえに、それが起こりました。
D
ですから、人生の中で問題をとおったとしても神がそのようにしたとは思わないでください。つまり、神様が私たちに災いを与えるわけではありません。
E
ただし、「初級編E-04、どうして苦難があるのか」で学んだように、神様は人生の問題を用いて私達を作り変える機会とされるようなことはなさいます。
F
この海に投げ込まれて、多くの人々を救う出来事はキリストの十字架の雛形です。また、ヨナが三日三晩魚の中にいた事はキリストが三日三晩地の中にいたことを表しているとマタイ12:40でイエス様は語っています。
G
試練にあった後に(2:8-9)「 空しい偶像に心を留める者は、自分への恵みを捨て去ります。2:9 しかし私は、感謝の声をあげて、あなたにいけにえを献げ、私の誓いを果たします。救いは【主】のものです。」という言
葉をもって主に再献身いたします。
H
ヨナの心が砕かれた後、アッシリアに宣教したときに驚くほど素早い十二万人の大改心が王を始め貧民にいたるまでなされました。聖書に書かれたもっと偉大なリバイバリストはこのヨナでした。
I
しかし、彼はイスラエルに対して熱心でしたが異邦人の事を気にかけていませんでした。それゆえ彼の頭の中では、別の原理が働いていました。彼はあくまでもニネベの滅びを願っておりました。これは宗教的に狂信者となるときに、本来私たちが持つべき神にある愛や、信仰者としての原則を見失ってしまうことを意味します。
J
あるいは、自分が語った預言が成就しなかったことに不満があったのかもしれません。災害が回避されたことは傍目には預言が外れたことを意味し、それは自分が卑しめられる経験だからです。
J
とうごまを枯れさせた神への不満の言葉を見るときに、ヨナはなんと器が小さいのかと思えますが、神の評価は違います。マタイ12:41の「ヨナよりもまさったもの」という言葉を見るときに、ヨナは高い評価を得ていることをうかがわせます。確かにヘブル11:27のモーセに対する評価、ヘブル11:11のサラに対する評価を読むときに、たとえ、私達がうまく振舞えずにいたときであったとしても、自分が想像する以上に神様は評価を与えてくださっていることがわかります。

この書の最後の部分は異邦人が滅ぶことを惜しまれる神のコメントで終っています。
このことはまた、新約時代における、異邦人に対する神の哀れみの予啓でもあります。
K
◆ミカ書
ミカは南ユダ王国の預言者です。新しい指導者がベツレヘムから出ることを預言しました。(5:2)
L
(6:8) 主はあなたに告げられた。人よ、何が良いことなのか、【主】があなたに何を求めておられるのかを。それは、ただ公正を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか。
M
また、(マタイ)。22:40 この二つの戒めに律法と預言者の全体がかかっているのです。」という言葉にあるように、神を愛することと隣人を愛することが旧約聖書の預言と律法を解釈することの土台であると新約聖書は語っています。これに反する急進的な聖書解釈には警戒する必要があるのです。
N
それらが土台だということは、あらゆる聖書解釈、預言解釈も神への愛と隣人愛に基づいてなされなければなりません。
O
7:18 あなたのような神が、ほかにあるでしょうか。あなたは咎を除き、ご自分のゆずりである残りの者のために、背きを見過ごしてくださる神。いつまでも怒り続けることはありません。神は、恵みを喜ばれるからです。
7:19 もう一度、私たちをあわれみ、私たちの咎を踏みつけて、すべての罪を海の深みに投げ込んでください。
P
私達が罪を悔い改めるなら、神様は私達の全ての罪を忘れるといわれています。それにも関わらず、私達の傾向としては、自分の罪を思い出そうとして、責めを感じたり、自己憐憫に浸ったりするのです。
Q
◆ セパニヤ
その名前の意味は「主は守った、主は隠した」です。旧約聖書に同じ名前が何度か登場しますが、それが同一人物であるかどうかはわかりません。
R
(3:17) あなたの神、【主】は、あなたのただ中にあって救いの勇士だ。主はあなたのことを大いに喜び、その愛によってあなたに安らぎを与え、高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる」と
S
この御言葉は賛美の歌詞にもなっています。通常礼拝では、私達が神様に賛美の歌を歌いますが、驚くことに、神ご自身が私たちに対して愛の歌を高らかに歌っておられるのです。
(21)
◆ハガイ書
執筆年代は紀元前520年ごろ。この書は私たちに優先順位の大切さについて考えさせます。
(22)
エズラ記4:24にあるようにビジョンを携えてバビロン捕囚から帰還した民は(第二)神殿を再び建て始めますが、敵の邪魔が入り15年ほど空白期間が生じました。ハガイ書はその頃の出来事です。その間、民は神の宮のことは忘れ自分の生活に忙しくなってしまっておりました。
(23)
そこで主は(1:4)で「あなたがたの歩みをよく考えよ。」と語られました。(1:6)「多くの種を蒔いても収穫はわずか。・・・金を稼ぐ者が稼いでも、穴の開いた袋に入れるだけ。」という現状の原因について語られました。
(24)
その原因とは、1:9・・・──万軍の【主】のことば──それは、廃墟となったわたしの宮のためだ。あなたがたがそれぞれ、自分の家のために走り回っていたからだ。
(25)
これは自己中心的な生活をするなら、生活の中で損失や無駄な出費が生じることを意味します。
(26)
そして、その解決方法とは1:8 「山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ。そうすれば、わたしはそれを喜び、栄光を現す。──【主】は言われる──」なのです。
(27)
宮を建てることの意味には二つあります。第一には自分自身という聖霊が宿る神殿を気づかうことです。宮を汚すことがないように、聖さを保つことです。
(28)
もうひとつは教会を建て上げる事です。これは建物だけを意味するのではありません。そこに集いそこの構成員として仕え、互いを立てあげあうことです。
その交わりの中に信仰生活に必要な栄養が詰まっているからです。
(29)
ハガ 2:9 この宮のこれから後の栄光は、先のものにまさる。──万軍の【主】は言われる──この場所にわたしは平和を与える。──万軍の【主】のことば。』」