JP−A−A38 中級編 旧約聖書概論 Aグループ  (38)  バビロン捕囚・帰還と再建
20/02/242/2  ● ■・■

第二列王記、第二歴代誌、エズラ記、ネヘミヤ記、

北イスラエル王国がアッシリヤによって滅亡した後、約130年後に南ユダもバビロンによって滅ぼされた時に、数万人の熟練工、知識層、貴人がバビロニヤに連れて行かれてしまいました。民の全部が連れていかれたイメージがありますが、実際には農民などの多くはその地にとどまることが許されました。

■バビロニアで受けた影響
この地に定住する内にユダヤ人たちは、そこでさまざまな影響を受けました。
(1)ユダヤ人という呼称:「ユダヤ人」という呼称はバビロン捕囚以後に聖書に登場します。これは、北イスラエルがアッシリヤに滅ぼされ、残された民の中心が「ユダ族」であったことから来ています。
呼称が生まれたもうひとつの理由は、他民族との結婚などにより、血統の上での民族の定義が難しくなり、アブラハムの子孫でなくても「ユダヤ教を信じる者=ユダヤ人」という新しい民族の定義が生まれたから。

(2)ユダヤ教の確立:    異教の神々の中で生活する内に、民族の歩みや宗教のありかたを再考し、それまで空気のように当たり前に存在した「信仰」というものを意識するようになり、宗教が確立しました。

(3)オリエント(中東)にとどまる離散のユダヤ人:この時代から今日に至るまで中東で暮らす離散ユダヤ人が出来ました。ただしイスラエル建国後、そこにとどまれず多くがイスラエルに移住しました。

(4)礼拝様式の変化: 中級編A-21「礼拝様式の変遷とダビデの天幕礼拝」で学んだように、神殿での礼拝ではなく、無数のシナゴーグ(会堂)で祭司やレビ人以外の人も執り行える礼拝が確立しました。

(5)暦の変更: それまで1年の12ヶ月の内、多くは月の名がなく「第何月」と番号で呼んでいましたが名前で呼ぶようになりました。また「アビブ」が「ニサン」になったように一部月名も変わりました。

■ 後に起こることの遠因
(1)サンヘドリン(最高議会)の成立:宗教の議会が結成され後に政治に影響を与えるようになりました。

(2)タルムードの成立: 預言者に代わり、ユダヤ賢者が聖書の解釈やさまざまな知恵を出し与えるようになり、そのような言葉がまとめられ始めました。編纂が始まったのは紀元後2世紀ごろです。

(3)ギリシャ語の旧約聖書(70人訳)の成立: ヘブライ語を解さないユダヤ人が増えたので、ギリシャ語の旧約聖書が出来ました。翻訳紀元前3世紀中ごろに始まりました。

■ 帰還と再建
●ユダヤ人の帰還
捕囚から70年後、ユダヤ人はかの地に戻り神殿を再び建てます。これを可能にしたのは次の三つです。

(1)ダニエルの祈り:ダニエル書9章の記述によれば、彼はエレミヤの預言書にエルサレムの荒廃が終わるのは70年であることを文書によって悟り、エルサレムの復興の為にとりなしの祈りを始めたと書いています。これは「聖書に基づいた預言的祈り」と呼ばれるものです。今日でも私達は聖書の中から神の約束を見つけ出し、祈ることを日常的にしていると思います。
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(2)神がクロス王の心を動かす: クロス王は異教の王でしたが、彼が生まれる以前に預言者イザヤは(イザヤ書44章28節)クロスを「わたしの牧者」「わたしの望む事をみな成し遂げる。」と言い、エルサレムの再建を預言しました。これは驚くべき予知の預言です。
クロス王がこの預言を読んで「ここに俺のことが書いている」と驚き、心が動かされたのかも知れません。いずれにしても異邦人の王がユダヤ人の為に神殿再建の為のおふれを出し、経済的援助を与えました。

(3) 霊に燃やされた人: どんなに預言やとりなし、そして、指導者がいても民が動かされなかったら意味がありません。クロスのおふれを聞いて多くのユダヤ人の心が燃やされました。
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●新しい神殿
新しい神殿は、その規模において古い神殿より見劣りがしました。(エズラ3:12)しかしハガイ書2章9節で「この宮のこれから後の栄光は先のものよりまさろう。」といわれるように神の計画は大きいのです。

復興されたものは、よりすばらしいと聖書は告げています。それは、多くの苦しみを経た結果精錬され、以前より神の御心にかなうものへと変えられたからです。

(1ペテロ1:7) 信仰の試練は、火を通して精練されてもなお朽ちて行く金よりも尊いのであって、イエス・キリストの現われのときに称賛と光栄と栄誉に至るものであることがわかります。

苦しみを通ったと言う事は、それはより神の似姿に近づいたと言うことです。何でもいいから苦しめばいいとは言っていません。おろかさによって苦しむ必要はありませんが、しかしたとえそのような所を通ったとしても、信仰に結び付けられるなら、必ず良い結果があることを知っていただきたいと思います。

そしてこの、より勝る栄光の神殿とはその本体であるキリストご自身を表しています。
後の時代にヘロデ王が神殿を立派に美しく増築しました。それによって、このハガイの預言は成就したと思い込ませたかもしれません。つまり、キリストはもう要らないという刷り込みです。
そのような刷り込みは現在のイスラエルにもあります。「イスラエル国がもうできたのだから、もうメシアは来た。」あるいは建国の父であるテオドール・ヘルツルこそメシアだった。」などというすり替えです。
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●城壁が回復される必要性
エズラ記に書かれたようにゼルバベルの働きによって神殿は回復しました。しかし、その様子を神は「そしられた状態」と描写しました。城壁の回復はそれほど重要な出来事だったのです。

この城壁再建の記録は今日の私たちの霊的な回復の記録です。また、とりなしによって霊的な城壁を築き上げることです。エゼキエル書22章30節でとりなし手を「破れ口を修理する者」とあります。

ネヘミヤ4章7節にあるように「城壁の割れ目がふさがり始めた頃」に敵の大きな抵抗がありました。サタンは意外と怠け者で、放っておいても支配できるものに対してはあまり手をかけません。

神殿を建てることは容認していたかもしれません。しかし、城壁を建てさせることは我慢できないのです。これはある意味、クリスチャンに対する攻撃に似ています。
あなたが救われたときにサタンは抵抗したとは思います。しかし、彼にとってもっと我慢できないことは、あなたが自分の人生を主にささげて、仕えはじめることなのです。

もしあなたの信仰生活に戦いがあるのであるなら、それは破れ口がふさがり、主が大きく栄光を表してくださるときが近いということではないでしょうか。

◆帰還後の生活
実は、このバビロン捕囚から帰還した民は、それまでの民とまったく違うことがひとつあります。それは彼らはもはや偶像礼拝をしていないことです。
それまで、イスラエルの民のもっとも大きな問題は偶像礼拝であり、それさえなければバビロン捕囚も起こらなかったであろうほどのものでした。
それゆえ、彼らはその点についてはしっかりと悔い改めたのです。

◆逆の極端
その彼らも、別の極端に陥ってしまいました。
それは、律法主義というわなです。神の律法を知らなかったために、彼らは散らされてしまいました。それゆえ、それを反省するために、彼らは、律法を熱心に守り行おうことを決心しましたが、それは彼らにとってわなだったのです。妻や子どもを追い出すというバランスを欠いたものでした。(エズラ10:3)