JP−A−A41  中級編  旧約聖書概論 Aグループ  (41) マラキ書
19/10/21 2/2  ● ■・■

マラキ書は最後の預言者です。マラキの意味は「私の使者(御使い)」
内容は不信の時代に対する神からのメッセージ、また、新約の時代への準備、キリストの初臨のための準備の書。神と民との対話形式で書かれている。
A
この書ののち、バプテスマのヨハネの登場まで預言者は建てられる「中間時代」と呼ばれる神が沈黙された時期が約四百年間続く。その間に神様は、預言成就を着々と準備されました。
B
◆うまくいかない時の対処。
マラキの時代は、神の約束を待ち望む民であり、民は忍耐をもっておりましたが、疑い、ひねくれ、開き直りが見られました。祭司は腐敗し、社会弱者を顧みず、捧げものも軽視されました。
C

◆民に対する神の愛。 1:2前半 「わたしはあなたがたを愛している。──【主】は言われる──」
D
◆ひねくれた反応
1:2中「しかし、あなたがたは言う。『どのように、あなたは私たちを愛してくださったのですか』と。」
このような無味乾燥な反応は、神の約束がなかなか成就しないといういらだちから来ています。
E
(2)祭司たちの冒涜の罪1:6-2:9
◆神からの問いかけ
1:6 「子は父を、しもべはその主人を敬う。しかし、もし、わたしが父であるなら、どこに、わたしへの尊敬があるのか。もし、わたしが主人であるなら、どこに、わたしへの恐れがあるのか。・・・
F
◆祭司たちの冷ややかな反応
1:6後半 ・・しかし、あなたがたは言う。『どのようにして、あなたの名を蔑みましたか』と。
G

1:10 あなたがたのうちには、扉を閉じて、わたしの祭壇にいたずらに火をともせないようにする人が、一人でもいるであろうか。わたしはあなたがたを喜ばない。──万軍の【主】は言われる──わたしは、あなたがたの手からのささげ物を受け入れない。
H

近い将来福音が全世界に伝えられ、国々が主をあがめる時が来る、にもかかわらず、肝心のあなたがたがどうしてそのような態度でよかろうか?
1:11 日の昇るところから日の沈むところまで、わたしの名は国々の間で偉大であり、すべての場所で、わたしの名のためにきよいささげ物が献げられ、香がたかれる。まことに、国々の間で偉大なのは、わたしの名。──万軍の【主】は言われる──
I
◆偶像礼拝者の女をめとることへの戒め。
2:11 ユダは裏切り、イスラエルとエルサレムの中で忌まわしいことが行われた。まことにユダは、主が愛された【主】の聖所を汚し、異国の神の娘をめとった。
2:13 あなたがたはもう一つのことをしている。あなたがたは、涙と悲鳴と嘆きで、【主】の祭壇をおおっている。主が、もうささげ物を顧みず、あなたがたの手からそれを喜んで受け取られないからだ。
J
(3)民の社会的罪2:10-2:16
◆軽んじられる結婚の契約。
2:14 「それはなぜなのか」とあなたがたは言う。それは【主】が、あなたとあなたの若いときの妻との証人であり、あなたがその妻を裏切ったからだ。彼女はあなたの伴侶であり、あなたの契約の妻であるのに。
K

(一人目)「見よ、わたしはわたしの使いを遣わす。
(二人目)あなたがたが尋ね求めている主が、突然、その神殿に来る。あなたがたが望んでいる契約の使者が、見よ、彼が来る。
L
一人目は「わたしの前に道を整える」ということからわかるようにバプテスマのヨハネです。
使者=    ? 4397(????). malak 213回?Definition: a messenger 使者、御使い
M
二人目は、キリストです。「あなたがたが尋ね求めている主が、突然、その神殿に来る。・・」とあります。
このことからもマラキ書がキリストが来る道を整えるためのものであることがわかります。
ただし、(3:2)の「だれが、この方の来られる日に耐えられよう。」という描写は再臨のキリストです。
N
(4)民の宗教的な罪 3:7-4:3 神の掟から離れる民
3:7(前半) あなたがたの先祖の時代から、あなたがたはわたしの掟を離れ、それを守らなかった。わたしに帰れ。そうすれば、わたしもあなたがたに帰る。──万軍の【主】は言われる──
3:7(後半) しかし、あなたがたは言う。『どのようにして、私たちは帰ろうか』と。
これに対しては、神は答えていない。おそらくあきれてしまっているのでしょう。
O
◆十分の一の捧げものをおろそかにする。
継続して盗んでいる。
3:8(前半) 人は、神のものを盗むことができるだろうか。だが、あなたがたはわたしのものを盗んでいる。
3:8(中)しかも、あなたがたは言う。『どのようにして、私たちはあなたのものを盗んだでしょうか』と。
3:8(後半) 十分の一と奉納物においてだ。
その解決は真実な捧げものをすること。
P
ここで2種類の捧げものについて語っています、「十一」と「奉納物」です。前者は読んで字のごとく、すべての収穫の十分の一です。奉納物はそれ以外にも捧げものをすることを物語っています。
Q
当時の社会情勢や経済システムが聖書の時代と異なるので、この御言葉をどう理解するのかはそれぞれの人や教会によって異なることでしょう。
ただ、私としては(ユダ1章20節にあるように「最も聖なる信仰の上に、自分自身を築き上げる」ことを願うゆえに、自分自身が捧げ、また他の人に捧げるように教えているのです。
R
◆招きの言葉
3:10 十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしを試してみよ。──万軍の【主】は言われる──わたしがあなたがたのために天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうか。
S

4:5 見よ。わたしは、【主】の大いなる恐るべき日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。
4:6 彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、この地を聖絶の物として打ち滅ぼすことのないようにするためである。」
(21)
父、子というとクリスチャンは自動的に父なる神、子なるキリストのことだと思うかもしれませんが、英語でいうとfathers複数形です。すなわち、これはこの地上の父達と子供達について語っています。
(22)
これは、旧約聖書最後の言葉で。この後400年以上神は沈黙されます。その最後の言葉がこれであるということは意味深です。
(23)
家族の回復は、人々がキリストを信じることの土壌を作り出すことを物語っています。