JP−@−A−004−1/2 基礎の学び 2026年版(ver.9) Aグループ 神との関係
04 罪の悔い改め ■・■ 2025/06/21
(ポイント)神との関係を妨げている事柄を取り除く(ここでは特に罪について)
他の人を赦すことについては、第2コース(B)の人との関係で取り扱いたいと思います。
[02]
「救い」はキリストを信じたときに、即座に手に入れることができます。また過去に犯した罪、未来に犯す罪の全てが赦されます。あなたはこれからも罪を犯すかもしれませんが、今はもはや罪の奴隷ではありません。[03]
ですから、私たちもまた、それを思い起こす必要もないはずです。けれども、救われた後、時間をかけて過去の処理をする必要がある場合もあります。 というのも、私たちの過去を逆手にとって責め立てるサタンがいるからです。自分の良心と敵との間に隙を作らないためにも、その時々に応じて自分の罪を神の前にさらけ出すことはあなたの信仰生活の歩みをスムーズにすることでしょう。[04]
1)すべての人は罪人である[05]
同様に、人をうらやんだり、競争心を持ったりすることも神に喜ばれることではありません。[06]
2)罪の悔い改め[07]
また、単に、悪い事をしていたのをやめるだけではありません。[08]
しかし、これは、妬むのを休んでいるだけで悔い改めではありません。心の悪い性質が取り除かれていないので、お金が無くなったら、いや、あるなしに関わらず、また、人を妬んだり、うらやんだりすることでしょう。[09]
「悔い改め」という言葉の意味は今まで進んでいた方向を変えて反対の方向に向かうことです。ですから今までしてきた悪い事を単にやめるだけではありません。[10]
3)方向転換と悔い改めの実[11]
聖書は盗みをやめるだけでなく、与える人になるように言っています。[12]
4)罪の告白[13]
現代多くの人が精神的に病んでおり、罪責感、拒絶感を感じています。その原因のひとつは、隠された罪や、汚れた思いである可能性があります。しかし、神に罪を告白するなら、赦しを受けることができるのです。[14]
中世までは、人々は神と直接関係を持つことができず、罪の告白も、祭司に向かってしなければ有効ではないと教えられていました。しかし、その考え方は正しくありません。クリスチャンは万人祭司であり、「すべての人が直接神様と関係を持ち、彼に向かって告白するなら、罪の赦しを受けることが出来る」のです。[15]
しかし、それにもかかわらず、個人的に、何度も神に祈り告白しても、その罪の誘惑から解放されなかったり赦しを確信できないことも起こります。[16]
ゼカリア3:1)・・大祭司ヨシュアと、彼を訴えようとしてその右手に立っているサタンとを見せられた。・・・3:3 ヨシュアは、よごれた服を着て、御使いの前に立っていた。(中略)・・「彼の汚れた服を脱がせよ。」そして彼はヨシュアに言った。「見よ。わたしはあなたの不義を除いた。あなたに礼服を着せよう。」[17]
赦されているはずなのに、責めを感じる、体調がすぐれない、などといった場合には、神が与えた方法をすべて用いる必要があるかもしれません。それこそ教会というコミュニティーが本領を発揮する時です。[18]
5)解放とコミュニティー[19]
聖書には次のように書いています。[20]
この御言葉にあるように神との関係だけでは、十分に罪の赦し、あるいは癒しや解放を実感できなかったりしてもコミュニティーを通じて、人との関係の中で、効果的にそれらがなされていくのです。[21]
「もし私たちが、神が光の中におられるように、光の中を歩んでいるなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます。」(第1ヨハネ1章7節)[22]
■コミュニティーの力[23]
キリストの律法」とは旧約の律法とは異なり、本質的に神が人に求めている事柄です。とはいえ、人の行いでは神が求める基準を満たす事はできません。それでも、神の定めは「互いに重荷を負い合いあう事」すなわち「コミュニティーの中にとどまる事」なので、それをもって、律法の要求が全うしていると認められるのです。[24]
[25]
このコミュニティーを通じての癒しというのは、過去の悪い経験、トラウマ、悪霊との間違った契約、人を赦していないことから来る束縛などといった事柄からの解放のために効果的です。[26]
また、依存症といった事柄から解放されるのに有効なことは、問題に光に当てる事(他の人に告げて祈りあうこと)です。何か思い当たるふしがある人は誰か信頼できる人に分かち合ってみると良いでしょう。