JP−@−C−006 基礎の学び 2026年版 (ver.9) Cグループ クリスチャン生活の基礎
(6)御霊の内住と御霊による歩み 2025/07/11
キリストを信じるときに起こる事がいくつかあります。罪が赦され義とされること、罪の束縛から解放される事、永遠の命が与えられる事、A-03神の子どもとされる事、そして今回取り上げる「聖霊が私たちの内側に住む」事です。
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※ 今回の学びは、時短の為に、(青文字)インデント(字下げ)部分はディスカッションから省いてもよいです。
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「聖霊が私たちの内に住まわれる」時には次のような意味があります。
(1)神がともにおられる (ヨハネ14:16)
(2)救いの保証 (エペソ1:14) と死後の復活の力 (ローマ8:11)
(3)私たちに語りかけ導きを与える (ヨハネ14:26、16:13)
(4)私たちを御霊によって歩ませる (ガラテア5:16)
(5)律法の要件を満たし義とされる (ローマ8:4)
(6)聖霊の実(人格)を実らせる (ガラテア5:22-23)
(7)聖霊の力(賜物)を与える (第1コリント12:7-11)
(8)私たちをとりなし祈る (ローマ8:26) (・・・もちろん他にも様々なものがあります。)
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これらの中で、今回は「(4)私たちを御霊によって歩ませる、(5)律法の要件を満たし義とされる」を取り上げます。
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旧約聖書を読むときに新約聖書の間のギャップに驚きます。というのも、旧約時代にはあれだけ律法、律法、規則に戒めと言っていたのに、それがすべて「キリストを信じることによってチャラになる」と言われても、うれしいけれど、理解しにくいので、納得がいかないと感じてしまう人もいる事でしょう。
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(エレミヤ 31:33) これらの日の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうである・・・わたしは、わたしの律法を彼らのただ中に置き、彼らの心にこれを書き記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
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この言葉からわかる事は、神様は律法を定めましたが、後の時代(キリストの十字架以後)には「この律法は私たちの心に書き記される。」という事です。つまり神様のやり方に変化が生じる事を知っていただきたいです。
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(※ ノート) 話を進める前に「律法」とは何かについて解説いたします。多くの場合、規則や戒めだと考えますがそれだけではありません。ローマ8章2節で、「律法」と訳されている部分が、以前の翻訳では「原理」とされているのを見ればわかるように、「法則」や「原則」という意味も含まれているのです。
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(エゼキエル36:26) あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を与える。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。36:27 わたしの霊をあなたがたのうちに授けて、わたしの掟に従って歩み、わたしの定めを守り行うようにする。
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(エレミヤ 31:33)に書かれた「心に書き記す」という状態はどのようにしてなされるのかと言いますと、神の霊が私たちの内に住むことによってなされるのです。
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実際、聖書の多くの個所で、律法と御霊があるときは同列に、またある時は対極的に描かれております。
その一例は、神様がモーセに律法を与えた日と使徒の働き2章で聖霊が注がれた日が同じだという事です。
ペンテコステの祭りは元々「律法授与を祝う日」なのです。
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このように、神は聖霊が私達の内側に住むという事実をもって私達を義とし「律法の要件を満たした」とされるのです。
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ここまでの話を聞いて、ある程度は納得したものの、まだ疑問が残っておられるかもしれません。その疑問は正常です。神の要求が満たされるためには、私たちの側にも、するべきことがあるからです。もちろん「ねばならない」ではありませんが、その要件が満たされていなければ、この特権を実感できず、堕落に導かれる可能性が高くなってしまいます。
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■私たちが満たすべき要件=御霊によって歩むこと
(ローマ8:1) こういうわけで、今や、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。8:2 なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の律法が、罪と死の律法からあなたを解放したからです。
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この御言葉は、私達に大きな励ましを与えます。しかし、その言葉には続きがあることを知る必要があります。それは「(ローマ8:4) 肉に従わず御霊に従って歩む私たちのうちに、律法の要求が満たされるためなのです。」です。
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「御霊に従って歩む事」は、単に、それが良いものだというだけでなく、「律法の要求を満たす」事の条件なのです。
そうです。この「御霊に従って歩む事」こそクリスチャンとして生きる事の本質なのです。
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もちろん、この条件を満たしていなければ、救いを失うとか失格者であると言っているわけではありません。
神様は私たちが弱い存在であることをご存知なので、私たちを責めるのではなく、憐れまれる方です。
ただ、肉に従って歩む者は、救われて神の子どもとされても、そのメリットを最大限体験する事が難しくなる事でしょう。
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ここである人は不安を覚えるかもしれません。誰も完璧な人はいないので「自分は御霊によって歩んでいるだろうか?」と疑問が生じるからです。人の歩みとは、信仰と不信仰、御霊の思いと肉の思いのはざまで生きるものだからです。
そういった中、次の御言葉に照らし合わせることによって、自分の状態を客観的に知ることができます。
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(ローマ8:5) 肉に従う者は肉に属することを考えますが、御霊に従う者は御霊に属することを考えます。
(ローマ8:6) 肉の思いは死ですが、御霊の思いはいのちと平安です。
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この御言葉に照らし合わせることによって、自分が御霊に従って歩んでいるのかを簡単に判断できます。
(1) 肉に属することを考えているかどうか
(2) 御霊に属することを考え求めているかどうか
(3) 死の思い(他者の破滅や自分の破滅を含めて)を持っているかどうか
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(※ ノート)「肉」という言葉は、肉体を連想させますが、実際には欲望などの堕落した思いといった魂の問題です。古代ギリシャの文化では「霊はきよいもの、肉体は汚れたもの」という考え方があったので用語に影響を与えたのです。
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こういう場合の解決策は、もちろんよく言われるように「賛美、祈り、異言の祈り、御言葉」が有効です。
でも、その中でも今回は特に「御言葉の暗唱」をお勧めします。習慣になるならわりと、即効性があるからです。
たとえば、詩篇23編、イザヤ書53章、ローマ書8章、詩篇1編などの御言葉を覚え、就寝前や不安を感じる時、誘惑を感じる時などに、暗唱するのです。もちろん、文字を見ながらでも構いませんが、覚えた方がよいでしょう。
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人として生きていいる以上、グレーゾーン(御霊でも肉でもない)の事柄はたくさんあります。しかし、その行為の結果どの方向に自分を向かわせていることは想像がつくと思います。位置的にはグレーゾーンであっても、方向性としては、その多くは肉のものだからです。そうであるなら、「今の時代これぐらいは普通だよ」とは言っていられないのです。
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コミュニティーの中にいる事
(ガラテア6章2節) 互いの重荷を負い合いなさい。そうすれば、キリストの律法を成就することになります。
(※ ノート) キリストの律法とは規則的な律法ではなく、神様が私たちに求めていることの本質です。
(※ ノート) この成就という言葉はローマ8:4と同じ語源の「満たす」です。ただ、こちらはさらに「補って満たす」というニュアンスがあります。つまり御霊による歩みでは満たしきれなかった「あと一歩」が人との関係で補われるのです。
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互いに重荷を負いあう事により足りない分が満たされますが、それは自動的にそうなるというだけではありません。
そこで心を開くことによって、心の癒しや解放のミニストリーなどを受ける事も含まれることによってなされます。
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■ 大切なのは方向性
完璧な人は誰もいません。どれぐらいできたかを基準にしたら絶望することでしょう。しかし、大切なのは方向性です。最終的には私達の心が主に向き、そして上記のような御霊の思いを持つための行動をすることが重要なのです。