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礼拝出席主情主義ではない

律法主義的ではない」からの続き・・・

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そのようなわけで、私たちの教会は礼拝出席至上主義ではありません。日曜礼拝に出席することが安息日の律法を守ることだとは考えてはおりません。とはいえ、不思議となぜかメンバーの礼拝出席率は高いです。

自由意思に基づいて、そしてともに礼拝したくて、また神にある家族に会いたくてメンバーが集うさまは麗しいものです。

日曜礼拝出席=安息日を守ることではない

もちろん、6日働いて1日休むという生活のリズムは神様が与えたものであり健康な生活を心がける上でもよいものです。しかし、聖書によると旧約聖書に書かれた安息日というのは究極的には天の御国に入ることのひな形であり(ヘブル人4章)、本体はキリストなのです(コロサイ2:16-17)。
ユダヤ人が今日も安息日を守ることについては彼らの文化なのでそれは問題ありません。しかし、異邦人である私たちが同じようにしなければならないわけではありません。

礼拝は土曜日に集まるべきだと考えている教会もありますがそれも違います。聖書は私たちが定期的に集うことを勧めておりますが、どの曜日に集うのかについてははっきり定めてはいないと思います。

また、土曜日でなければならないわけではない理由については、次に説明する安息日とは何かを知れば理解できることと思います。

安息日とは

多くの人が見過ごしておりますが、そもそも旧約聖書に書かれた安息日とは金曜日の夕方から土曜の夕方までの24時間ではありません。
なぜなら聖書の時代には7日ごとに繰り返される曜日と言うコンセプトがなかったからです。あったのは、月を観察して新月が確認された翌日を新月祭としてその日から7日ごとに繰り返される安息日です。そしてそのサイクルは次の新月の日にリセットされます。
4回目の安息日が終わってから新月祭までの日数は二日前後しかないので7日ごとのサイクルはその月末に壊されてしまいます。

それでは日曜日でよいのではないか

キリストが復活した日だからという理由で、早い時期から初期の教会は日曜日に集っていたという説がありますが真偽はわかりません。初代教会のクリスチャンはユダヤ教の伝統にのっとっていましたが、それが日曜日に集うようになったのはローマ帝国による大人の事情によるもののように思います。

集うことは大切です
それでも、現代の私たちにとって日曜日に集うことは理にかなっています。多くの人たちにとって休日だからです。 ですから私たちもその曜日に集います。

いずれにしてもその集いは義務によってではなく喜びによってなされます。それはあたかも親戚が年に1,2回集うようなものかもしれません。神にある本当の家族として交わりをよろこび楽しむのです。


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