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ティーチング

正しく判断するために教えが必要である

健全な教えは教会の土台です。
私たちの教会では個人が感じていることや考えていることが尊ばれております。 それは別に、好き勝手なことをしてよいという意味ではなく、自由意志の中でより良いものを選んでほしいし、また、自分の決断に対しては一人一人が神様の前に自分の行動に責任を負うべきであると考えているからです。

photoそのような方法が機能しているのは健全な教えの土台の上に立っているからです。ただし、その教えは単なる頭の知識だけではうまくいかないことでしょう。人というものはどれだけ良い教えを受けたとしても、それを実行する妨げがあったり、それに対する理解力をくらませる心の闇と言ったものを抱えている場合があるからです。

生きた能動的、実際的な学び

ですから、私たちはメンバーたちが効果的に神様から受け取ることができるように「基礎の学び」と呼ばれるプログラムを用いております。
「基礎」という言葉の意味は、もちろん基本的な事柄、すなわち十字架と救い、神との関係、聖書とは何かなどと言った基本的なことを教えますが、他にも重要視していることは、私たちが健全に成長していくための土台を作るためのものです。 これは勉強する学びではないので、その内容はディスカッションによってなされます。 そのディスカッションの場では、一人一人が考えていること感じていることが尊重されます。 そのような方法だと内容が変な方向に走ってしまい混乱しないかと心配される方もいるかもしれませんが、どうやらそんな心配はいらないようです。

自由なディスカッションを妨げないようにするように、それには牧師は参加しません。 他にもネット上に基礎の学び中級編、家族の教え、子育ての教え、とりなしの祈りなど数多くの教えが準備されております。

 


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