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聖書とキリストを信じるクリスチャンの教会

教会誕生のバックグラウンド

photo自己紹介する上で「聖書とキリストを信じる教会」という表現はかえってわかりにくいかもしれません。当たり前のことを言っているだけのようだからです。

わかりやすい言葉で言うならプロテスタント系の教会ですが、しかし、そのような表現をしているのには二つの理由があります。 一つは私たちの教会を始めた宣教師を送り出した教会はメキシコというカトリック色が強い土壌で生まれたという背景にあります。

暗闇の中で生まれた光

日本ではカトリック教会に対してそんなに悪いイメージはないとは思いますが、メキシコをはじめラテンアメリカでは事情が異なります。マリヤや聖人を神のように崇拝しているなど一般に言われているプロテスタントとの違いだけでなく、土着の宗教とその結びつきがもたらす偶像礼拝もさかんに行われておりました。「イエスを救い主と信じて救われた」などといったら破門になるほどで、まさに別の宗教のようでした 。そういった中、1980年前後に真の神を求める運動が自然発生的に起こりました。シンプルに聖書とキリストを信じる教会の群れが発生したのです。

誰に対しても敵対しない

それでも、彼らは自らをプロテスタントとは名乗りませんでした。 それは、プロテスタントの意味は「抗議するもの」であり、中世のカトリック教会に反対する勢力として始まったのですが、彼らは誰かを敵視するのではなく、ただ純粋に神と聖書を信じる群れであることを願ったからです。それゆえ自分たちをシンプルに「クリスチャン」(※)と名乗ったのです。

(※)メキシコをはじめ多くのラテンアメリカの国々ではクリスチャンという呼称の中にはカトリックは含まれません。外部の人がそうみなしているだけだというわけでもなく、カトリックの人たち自身も「私たちはクリスチャンではなくカトリックだ」と主張しています。

使徒信条(しとしんじょう)

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、 イエス・キリストを信ず。

主は聖霊(せいれい)によりてやどり、

処女(おとめ)マリヤより生れ、

ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、

死にて葬られ、

陰府(よみ)にくだり、

三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり、

かしこより来たりて、 生ける者と死ねる者とを審(さば)きたまわん。

我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、 聖徒の交わり、罪の赦し(ゆるし)、身体(からだ)のよみがえり、 永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず。  アーメン。


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